2015年10月13日火曜日

大学生調査(統計資料です)

卒論で、大学生を相手にした調査をしている人もいます。ゼミ4年生では全員が、半構造化インタビューの方法をとっています。

自分の調査は「インタビュー」で「質的」なものでも、質問票による大量調査での量的統計データを参考にして、たとえば全国の大学生のなかで弘前大学の学生がどのような傾向や特徴があるのかをチェックする必要があるでしょう。

以下のwebサイトは、その意味で参考になります。ちなみに、大学生だけでなく高校生調査もあります。


「本調査 集計結果」から「分野別集計」をみてみてください。例えば、「1週間の平均的な生活時間、学期中と休暇中の別」「1ヶ月の生活費」のような項目があります。

2015年6月19日金曜日

社会学の論文検索(その3)

前回、前々回のエントリーにつづいて、社会学の論文をさがすサイトの紹介です。

前回(その2)まではJ-Stageという、サイト内検索が可能なwebサイトの紹介でした。今回は有力な論文を含む紀要や大学院生中心のジャーナルのwebサイトです。(サイト内検索は*印のついたもののみ可能。)

順序としては前々回の2誌でまず検索、なかったら前回紹介した各誌のなかで関連しそうなジャーナル(雑誌)のwebサイトに行って検索。これらにある程度慣れてきて、さらに時間があったら以下のwebサイトをあたってみる、というのがよいでしょう。

ちなみに、前回、前々回紹介の各誌webサイトで検索してヒットしなかった場合は、以下の各誌webサイト内をさがしまくる前に、検索語を再検討したほうがいいでしょう。


【大学院生の論文など】
【大学紀要】


2015年6月11日木曜日

社会学の論文(日本語)検索

卒論の参考文献として、関連論文を探したいときに、以下のwebサイトが便利です。

『社会学評論』『ソシオロジ』という、日本の社会学を代表する学術誌2誌のバックナンバーに掲載された論文のPDFファイルが、検索でき、ダウンロードできます。


もちろん、みなさんごぞんじCinii(国立情報学研究所の論文検索サイト)は、社会学関連のほかの雑誌、それから他分野の雑誌に掲載された論文もすべて検索できます。みなさんが書くのは社会学の論文なので、まずは『社会学評論』『ソシオロジ』2誌の論文を検索してから、満足な結果が得られなかった場合にCIniiで検索、という順序でやれば効率がいいでしょう。

上記サイトが便利なのは

(ⅰ)上記2誌掲載のすべての論文が検索でき、downloadできる。Ciniiはタイトルだけでdownloadできないものも多い

(ⅱ)検索してヒットしたものが複数となる場合も多く、それらの「要旨」をみていけば、そのなかから関連しそうな論文を探せる

(ⅲ)検索語で「書評記事」がひっかかったら、世の中にある関連本(社会学)の概要を(1-2ページ程度で)知ることができる

という点です。

(ⅰ)(ⅲ)のメリットは、分かりやすいと思います。
(ⅱ)のメリットは、分かりにくいかもしれません。説明します。

以下の文章を読んでみてください。図書館での参考文献(本)の見つけ出し方を説明した文章ですが、じつはこれとポイントは同じなのです。

図書館のOPACで卒論の参考文献をみつけようとするとき、直接自分の調査トピックや対象を検索語として入力しても1件もヒットしない、という経験はあるでしょう。逆に50件以上ヒットしてしまって困る、ということもあるかもしれません。そんなとき、どうすればいいか。

正攻法は、そのトピックの一歩奥にどんなテーマがあるか考えてみることです(e.g.「大学生の趣味」ではなく「若者」「消費」「余暇」などでも検索)。この一歩奥のテーマを探す方法は、ひたすら考える(ひとりブレインストーミング&KJ)ということでもいいですが、ほかにもあります。手持ちの『社会学』のテキストでそのトピックを探してみて、どんなテーマの章で扱われているかを調べる。あるいは社会調査実習室の『新社会学事典』でそのトピックが載っている項目を読み、関連するテーマとおぼしき単語で検索をする、などです。

そうして見つけ出した検索語で再検索。1-2冊しかヒットしない検索語はハズレだろうと思いましょう。50冊以上ヒットした場合はまた上記のやり方などで絞り込みます。10冊~30冊くらいなら、OPACから離れて図書館の本棚に行くこと。なぜかといえば、きちんとジャンル分けされた図書館の本棚で探すということは、その本の周りにある関連しそうな本にも出会いやすい、ということだからです。

上記の社会学の雑誌2誌の検索の話に戻りましょう。ヒットした複数の論文のタイトルには、直接検索語が入っていなくても、その論文の本文中のどこかに検索語があればヒットします。ということは、その論文の内容は関連していることが考えられます。参考文献候補ですから、内容をチェックしましょう。

作業が膨大になる、と心配する必要はありません(多少の労力は、能力を手に入れる代償だと思ってがんばるしかない)。

慣れないうちはタイトルに検索語がないと中身をみないとまったくわからない、という状態です。が、慣れてくると「そのひとつ奥にあるテーマ」的なものがニュアンス的に分かってくるので、検索語はタイトルに入っていないにもかかわらず、タイトルをみただけで「これ、けっこう関連かも」と分かるようになります。

それまでは、ヒットしたもの全部の内容をチェックしてみましょう。なにも全ページ読むことはありません。論文は、最初の半ページほどに短い「要旨(要約)」が載っています。そこを読んで、全文読むかどうかを判断すればいいだけのことです。

全文読んでいく場合も、なんとなく読むのではなく(時間のムダ!)、この2回のゼミで練習した「論文の構成を意識した」「書き手目線に立った」読み方で機械的に読んでいくことが効率的です。

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【追記】
「要旨(要約)」の件ですが、上に書いたように、論文冒頭に半ページほどの全体の要旨(要約)文が載っているのは『社会学評論』のほうで、『ソシオロジ』は論文の本文と参考文献リストのあと、最終ページに英文の要旨が載っています。英文はちょっとハードルが高いかもしれませんが『ソシオロジ』は現在upされているバックナンバーの数自体が少ないので、ヒットする論文数も少ない。がんばって全文チェック。

2015年6月3日水曜日

パラグラフ・ライティングには二重・三重の利得がある

昨日のゼミでは卒論の出来上がり(全体20,000字程度)までの工程イメージを伝えました。どこでなんのために頭を使うか、時間がどこでどれだけかかるかを考えましょう。早く取りかかれば取りかかるほど、見積もりが立つようになります。

論文は構成重視。基本は以下の4部構成です。

A. 序論(はじめに)
B. 対象・目的・方法
C. 本論
D. 議論と結論

それぞれの内容がどのようなものかは、昨日のレジュメを参照。それらの内容をどうやって書き進めればいいかは、レジュメを参考にしながら、その都度の面談で、やるべき個別作業に落とし込んでいけばいいのです。ただ、最初の段階では試行錯誤が必要で、現在の4年生はまだその段階です。

C.部分の素材は調査データなので、これからさらに調査がすすみ、ノーツが蓄積されるにつれてできていきます。

すでに調査データが少しずつ蓄積されている人は、A.を作っていきます。やみくもに調査するだけではその先になにがあるのかが分からないので徒労感を感じます。A.部分は調査の方針、調査の先になにを分かろうとしているのか、という全体像を示すものです。

B.部分はA.とC.ができてきたら自動的にできます。
D.部分を作るのは直前期(中間発表前の10月後半)でいい。

これから夏休み前までにA.〜C.部分をどんどん試作していきます。ぼろぼろでもいいので、まずA.〜C.の試作版を作り、そこから徐々に全体を仕上げていきます。書かなくてはなにも始まりません。書かないと考えていることになりません。

A.から順番にD.まで仕上げていく、ということはありえません。それぞれのパーツが並行して徐々に出来上がっていきます。C.のデータがなくてはA.の全体像・全体方針は立ち上がってこず、逆にA.の全体像・全体方針がスカスカでは調査の方向がみえず、というように各パートは別パートとの相互関係で育っていくからです。

原稿を書くときに注意するべきは、パラグラフ・ライティングを徹底することです。パラグラフ・ライティングが重要なのは、2つの意味においてです。第1は、構成していくときに有利だということ、第2に文章の書き直しが少なくてすむということ。これによって、卒論完成までの所要時間が2/3〜半分くらいになります。

パラグラフ・ライティングがなにかはwebで調べてもわかりますし、参考書が知りたければ教えます。勉強して知るだけではなく、必ず実践してください。

また、卒論だけではなく、論理的な構成で、誰が読んでも分かる文章を書く技術は、どんな事務仕事にも使えます。エントリー・シートにも。だから、パラグラフ・ライティングには二重・三重の利得があるのです。


llllllllllllll
【追記】
パラグラフ・ライティングの基礎については、6月9日のゼミで、以下の文献の該当ページ紹介によって説明しました。

  • 倉島保美『論理が伝わる世界標準の「書く技術」』講談社ブルーバックス、2012年(pp.26-32)

2015年6月2日火曜日

公的統計資料・報告書リンク集

各自の卒論調査に関連しそうな公的な統計資料・調査報告書類へのリンクです。随時追加していきます。

総務省統計局

文部科学省

内閣府

経済産業省関東経済産業局

国立国語研究所

東京都教育委員会

弘前市

2015年5月8日金曜日

「農村社会史」とは

大学院の「農村社会史」はすでに3回分の講義が済んでいます。「農村社会史」というなまえの講義が開講されている大学は、多くはありません。なにをやるかということで、最低限決めてあるのは(1)「日本国内」の農村について中心的に扱うということ、(2)「戦後」を中心に、場合によっては「明治以降」の農村と農村研究について扱うということです。

「史」となまえがついているからといってこの講義は「歴史」の勉強をしようというのではありません(私は歴史学の専門家ではありません)。現在の農村部の地域社会を社会学的に理解するための知識を学んでいこう、というものです。社会とは、それがどのような人間集団であれ、歴史をもっています。歴史があるなら、その社会独自の規範があり、そうした規範があるからその社会で特有の行為に対する解釈が成り立つのだ、というのは社会学の講義でも繰り返し述べてきた基本です。

で、農村部というのはとくに歴史が長く厚く、現在の状況を理解する土台として歴史的に成立して来た「構造」なり「規範」なりを知らなくては理解できない。そのための最低限の知識を勉強していこう、というのが目的です。

そんなわけで、手始めに社会学的にムラ(村)を理解するための基本であるイエ(家)という制度について勉強しています。源流は民俗学を始めた柳田國男ですが、その源流から農村社会学の流れを作ったのが有賀喜左衛門、福武直、鈴木榮太郎、喜多野清一といった面々。前回読んだのは福武直が敗戦直後に調査し、出版した書物のなかの論文「東北型農村と西南型農村」でした。
  • 福武 直[1949]「東北型農村と西南型農村」、福武直『日本農村の社会的性格』、東京大学出版会、pp.69-115
タイトルが示す通り、この論文は岩手県と岡山県の農村社会を、イエ制度、とくに本家ー分家制度の「実態」比較に着目して書かれたものです。それまで、日本の農村社会が全国ひとくくりに論じられており、地域別の類型化がすすんでいなかったからです。

そのほか、講義でも解説しましたが、これが書かれた背景には当時のGHQが主導したといわれる農村の「民主化」が問題意識としてあります(論文中にはこれはそれほど明確にはされていませんが)。ちなみに戦後の農村民主化とは、農地改革、農業協同組合事業、生活改善事業3本としました民主化がすすんでいるはずが、実態をみてみると「封建的遺制」つまり封建的な地主-小作制度の残存がみられる、等々がその問題の捉え方です。

この論文の表面である「東西比較」の奥に隠れて一貫しているのは、「実態」をベースに当時の農村社会を理解し、それまで学説が築き上げて来た「型(model)」や民主化という「制度・政策」との差異を問題にする、という議論の作り方=【理念型と実態との差異、制度化と実態との差異から〈社会〉の動きをみる】です。こうした現地調査に基づく事例研究での議論の作り方も、文献を読みながら学んでいってほしいことです。

次回からはムラのなかでの社会関係、相互扶助について勉強しますが、イエについてもっと勉強したい人は以下の文献も読んでみてください。

  • 有賀喜左衛門[1971]「家の歴史」、『有賀喜左衛門著作集(11)―家の歴史・その他』、未来社
  • 鳥越皓之[1993]『家と村の社会学(増補版)』、世界思想社

有賀[1971]のほうは原典(古典)的な文献で、農村地域をフィールドに修士論文を書こうという場合には必読。ちなみにこの「家の歴史」が最初に出版されたのは1965年、調査はさらに古いです。鳥越[1993]はやさしい概説書で、この講義の副読本的な位置づけです。

また、初回でとりあげた以下の論文は「フィールドワークもの」ではありませんが、人口データを使った実証的研究です。書かれている内容もたいへん勉強になりますし、論文の構造自体も分かりやすいので、論文とはこういう展開で書かれるものだ、ということを学ぶためにも何度か読みかえしてみるとよいと思います。

  • 平井晶子[2003]「近世東北農村における『家』の確立ー歴史人口学的分析」、『ソシオロジ』47巻3号、pp.3-18

―というわけで、この講義は歴史の講義ではないけれど、歴史的に成立した規範や制度についても勉強する、歴史的制度を参照しながら現在をみていくんだという説明でした。

この講義では日本のことを中心的に扱うということもあって、英語文献は扱いませんが、さいごに少しだけ英語の勉強を。じつは、講義には英語のなまえもつけられています。でも「history of〜」みたいななまえはつけていません。私の独断で、「Agrarian Studies」となっています(シラバスにも、出てない…)。でも、根拠がないことではありません。米国のYale大学のAgrarian Studiesプログラムのページがそのコンセプトを紹介しています。みじかい英文なので、これをちょっと読んで、イメージしてみてください。

2015年5月7日木曜日

大学院生のみなさんへ

今年度からは、大学院の講義も受け持ちます。2015年度は質的調査分析(前期、オムニバス)、農村社会史(前期)、北東北研究(前期、オムニバス)、地域社会学(後期)です。

大学院生に向けて書いたエントリ記事もときどきあげていきますが、それほど頻度は高くないと思います。ただ、もともと学部学生のために書かれたものでも、大学院生のみなさんにも役立つことはあります。同じ記事に学部のゼミや講義と大学院のラベルが重ねて貼られているのはそういう理由です。

大学院生は、自分で独自の調査をすすめ、成果(修士論文)を仕上げることが最終目標です。この目標を強く意識して、そのために「自分の場合は」どのようなスキルを身につける必要があるか。これをつねに考えて、講義などを自分に引き寄せて利用・消化していってください。

ただ講義を座って受けているだけでは、時間のムダです。できるだけ受講者のみなさんにひろく使える知識やスキルを伝えて行くつもりですが、極端に言えば自分に必要のないところは聞かなくていい。そのためにも自分の最終目標になにが必要かは強く意識すべきでしょう。

最終成果とそこにいたるプロセス開発が、大学院でのみなさんと教員との共同作業なわけですが、ほんとうにやりかたは「それぞれ」なので、みなさんからの積極的な発信がこちらになされるかどうか(そのための勉強が各自できるかどうか)が分かれ目です。がんばってください。

2015年4月27日月曜日

佐々木さんのエントリー・シート

先週金曜の臨時ゼミは、就職2年目、某企業でシーリング材の営業で働いている佐々木さんに、お仕事の話と就活の話をしていただきました。そのなかで、ある企業人から「よくできている」と褒められたことのある、かれが3次面接まで進んだ某お菓子メーカーあてのエントリー・シートをみせてもらいましたが、あれの要点はなんでしょうか。

*  *  *

細かいポイントはいくつもあるのですが、全体的に「ストーリー性」があるということだと思います。具体的に説明します。

シートのなかには複数の項目の作文があります。ここで言うストーリー性とは、それらの各項目で書かれてある内容どうしが、なんとなくそれを書いた人の中でつながって生きていて、かつ、それぞれが書いた人の入社後のビジョンにもつながっていっているな、と読む人が思えるかんじで書かれているということです。

佐々木さんには、特別アピールできる資格はありません。世の中にはもちろんTOEFL、TOEIC、英検とか日商簿記2級とか宅健とか行政書士とか、はては漢字検定とか、いろいろ資格はあります。そういう資格は、もしいま持っているなら、アピールには使えます。でも大事なのは、数ありゃいいというものでもないし、持ってるものを並べるだけではもったいない、ということです。4年生はいまから慌てて資格なんか取ろうとしなくてもいいです(時間かかるし)。

あと、面接の会場では「この資格持ってます」「入社後これができます」みたいなことをやたら押してくる就活生が目立っているかもしれませんが、恐れるに足らず。資格なんか履歴書みたら分かるし、履歴書とかぶることを面接で繰り返すと「こいつ、これしかアピールポイントないのかな」と思われます。「できます」アピールについても、できるかどうかは採る側が判断するので、そんなこと言うだけじゃあ意味ないです。

たとえば、TOEFL500点というのは、それ自体高スコアでもなんでもないのだとしても、大学在学時代のアメリカ自転車旅行の経験があり、将来海外での営業職を志望している、ということだったら、その各要素がつながってひとつの人物像を結ぶわけです。「ああ、優等生タイプじゃないけどやる気と行動力はあるんだな、じゃあ海外勤務も視野に入れているな」とか。

佐々木さんのエントリー・シートの現物をみてみましょう。まず、書き方です。

企業志望の理由とか、その企業でしかできないこととか、これまでに挑戦した困難な目標とその達成法とか。各項目のお題に対して、冒頭の1-3行目で答えを、続いて答えについての説明を書いています。たとえば1行目に志望理由、2行目以降は「なぜなら~」で始まる。これ、みなさんごぞんじのパラグラフ・ライティングですね。全体が徹底してその書き方になっています。企業の人がエントリー・シートを数百枚(場合によっては千枚以上)チェックしていることを考えれば、「なんか読みにくいな」と思われるだけで不利ですし、読みやすくて飛ばし読みでも要点が分かるというのは、まちがいなく有利です。

次に、書いてある内容です。佐々木さんが言っていた「経験は実績」がキーワードです。

目立つところがいくつもありますね。アメリカ大陸自転車横断とか。インカレ団体優勝とか。自己記録更新とか。ちょっと笑うほど「すごい人」にみえます。こういうのをみると、この人はすごい人だから私はこんなの書けません、と結論するかもしれません。でも、面接員側はもっとスレています。「こいつアピールがんばってんなー(笑)」とか「団体優勝や記録更新はキミもそうだけどコーチがよかったんだよね」とか「自転車だけか?バスとかに乗ってないのか?」とか思います。もちろん、悪印象はありません。

重要なのは、すごい達成を書いているという点ではありません。経験にちゃんと意味や説明をつけられているかどうかだけが分かれ目なのです。失敗の経験を書くのだって、いいと思います。その失敗に意味や説明を付けられるということは、失敗を経験していない人・失敗しただけの人に比べて、明らかに経験値が高いからです。

経験は実績です、と佐々木さんは言います。ただし、あなたの経験そのままでは誰が見ても分かる実績にはなりません。(a)その経験が自分にとってどのような意味があった(ある)のかという経験への意味付けをし、(b)それがその企業に入ったときにどう生かせそうなのかというビジョンも少し述べる。これらの(a)(b)2つが書かれていてはじめて経験が「実績」になる。これが書けていることが、いいエントリー・シートの条件なのだと思います。「経験」を「実績&ポテンシャルの根拠」と位置づけて作文する、ということです。そういう実績、ポテンシャルをどう評価してどう使うかということは、採る側が決めます。

エントリー・シートには、履歴書に書いてあることを繰り返したってしかたない。逆に、履歴書に書けていない、書けなかったことを書くべきです。「経験」はその最たるものです。また、経験したことは、自分なりの話し方がやりやすいはずです。面接員の手元にあって質問のネタになるのがエントリー・シート。そこに書かれてある内容を、面接の場で自分で補足することはそんなに難しくはないでしょう。志望理由の模範答案を暗記したかのようなロボット的面接受験者はまったく印象に残りません。それより経験の語り方を工夫してみましょう。

というわけで、エントリー・シートでも面接でも、自分をプレゼンするときに、個別バラバラの経歴・資格等々の羅列よりも、個々の項目で書かれている経験の内容が意味付けされ、仕事のビジョンにも関連づけられた実績・ポテンシャルとして示されていれば、読む人(企業の人)にとって現在の本人(エントリー・シートを書いた人)の将来人物像に焦点が合って、その人への興味を引くかんじになって、いいんです。それが、冒頭で私が言った「ストーリー性」です。

経験を書く、というときに難しい点があります。他の人からは独自の経験にみえ、なんらかの実績の根拠とかあなたのもつポテンシャルと評価できるものでも、自分自身では「みんなやってることだ」「フツーのことでたいしたことない」と思えてしまう点です。これ、その経験に価値がないのではなく、意味付けがまだできていないだけのことです。

たとえば社会行動コースなら、実習とか卒論で、現場で取材していること、インタビューしていることなどは、実はあんまりほかの受験者がやってないことですし、具体的な調査場面のエピソードとか、いろいろ語れるじゃないですか。そういうの、面接で強いです。社会調査士という資格も、面接員には知らない人が多いでしょうけど、そこに食いついて来たら実習や卒論の話をすればOK。ただし面接では、最初は「社会調査」でいいんですが、話を続けていくときに「調査」「フィールド」という漠然としたコトバを連発するより「取材」「インタビュー」「アンケート」「調査した地名」など具体的にやったことがイメージしやすい語を選んで使ったほうが有利(こういう小手先も大事なのです)。

*  *  *


あらためて佐々木さんのエントリー・シートを読むと、自分のことをよくここまでいけしゃあしゃあと褒められるものだ、とも思います(笑)。自分で自分を褒める作文が難しい場合は、私が添削することもできるので、相談してください。ゼミでも言いましたが、私、意外と人を褒めるの得意です。あと、佐々木さんは「笑顔はほんとうに大事っすよ」と言ってました(笑)。

2015年4月15日水曜日

2年目=2015

昨年度後期から始めたこのblogも2年度目に入りました。

今年度も昨年度と同じタイトルの講義を受けもち、その講義でこの予習・復習用blogも紹介しているので、みなさんは講義タイトルのラベルからアクセスして昨年度のエントリー記事を読むことも多いと思います。

毎年講義内容はバージョンアップしていくつもりですが、内容が全面的に変わることはしばらくありません。だからたとえば、今年度の社会学Aの受講者が昨年度のエントリー記事を読んで勉強しても、まったく問題はありません。

もちろん、今年度に新しくエントリーを書き加えるつもりもありますので、学生の皆さんには今年度と昨年度のエントリーをあわせて読んでもらえればと思います。

よろしくお願いします。

2015年3月29日日曜日

ドツボにはまらない心得

4年生のみなさんは、就活(および公務員試験)と卒論という2大プロジェクトを抱えて、これから1年間とても忙しいと思います。どちらも難度のある長期戦なので、キツくならずに、なんとか姿勢をキープして乗り切ってください。就活と卒論、どちらにも共通して言えることで、両立するためにも必要な心得です。

  • スタートラインにうまく立つために、情報の共有を

自分の周りと情報を共有する(とくに初期は)。それで損をすることはない。友だちとはこまめに情報交換する。人から得ようとするだけではなく、人にも教えることのできる情報を用意する。ゼミ生どうしでも。そのうえで独自の活動と工夫をしていく(底上げ効果)。そうするとはりあいもおもしろさもでてくる。個別にやるだけでは効率は悪く不安が大きくなりやすい。

  • スケジュールのマネジメントをしっかりやる

これをやることで、卒論も就活もストレスが大きく減る。説明会、ゼミの発表日など、いろいろ。調整の融通が利きやすいのはゼミの方だが、直前になってというのは勘弁してください。遅くとも1週間前には次の7日間の予定は固めておくこと。なんとなく就活に流されるのはダメ(結果、就活にも卒論にも消耗する)。就活のなかで優先すべき事項とその理由を自分で決める、ということも含めてのスケジュール管理。

  • やりながら身につけていったことをすぐ次の成果につなげる

やりながら少しずつ要領がのみ込めてきてスキルも上がる(経験値の上昇)。自分でそれが分かってくればさらに伸びる。分かるためには、やりながら得たネタや「できるかも」という感触を、すぐ次のゼミ発表や面接などの実戦に生かし、取り入れていく。芸の基本は繰り返し+α。つねにその時点でのものを見せていくしかない。「まだできてない→今回は見送り」はキリがないし、できることが少ないかのような錯覚を呼ぶ。

  • 完璧を意識するのは無駄、調子を落とさず継続する

「自分とのたたかい」を手なづける。完璧を目指すとか、完璧な人を想定して自分を減点評価するのは無駄。自分が落ち込むキッカケを自分で作ることはない。自分の能力や持久力、クセについて、いろんな見積もりと対処ができることがいちばん大事。つまり、自己評価は「安定しているかどうか」だけが問題なのであり、自己評価が高い/低い」はけっこうどちらでもよい。

  • あとは、人と会うこと

基本。卒論でも就活でも、人と会って話すことに積極的になると転がりが早くなる。もちろん時間には限りがあるし、多く会えば会うほどいいということでもない。会うべきとき、会えばいいかもと思ったときに気後れして会わないよりは、会っておいた方が後悔しない。


!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
〔追記〕
うーん・・・就活というのは、突然3日前に面接の呼び出しがかかったりするんですね。経験のない私は、就活中の4年生のみなさんの話から分かりました(感謝)。上では「遅くとも1週間前に次の7日間の予定を固めろ」と言いましたが、なかなか難しい面もありますね。いずれにしろ、上で言ってることの基本は変わりません。ドツボにハマらぬよう、自分を大事に就活と卒論を。つねに連絡はしてくださいねー。

2015年3月14日土曜日

関連文献紹介の要点(その1)

前回エントリーで、4年生には自分の卒論関連文献の紹介をしてもらう、と書きました。前期ゼミの時間に各自1回やってもらいます。もっと必要な人には「卒業研究」の枠内でやってもらいます。

さて、関連文献の紹介の鉄則です。

  • 1つ紹介の場合でも、それだけしか読んでいないのは絶対ダメ。いくつか読んだなかで、それを選択して紹介する。
  • ひとつのテーマやトピックに対しては、複数の立場や視点の論者がいるはず。そのなかで、選んだ文献が占める位置を把握。だから複数紹介のほうがいい。
  • その文献の主張に対する自分の卒論の位置取りまで示せれば、申し分ない。

さいごまでは無理かもしれませんが、最初はかならず、できる限り2番目まではクリアしてください。

本だけではなく、学術雑誌の論文も、国立情報学研究所のCiini大学図書館の雑誌情報/電子ジャーナル情報などを利用し、さがしてみてください。

関連文献のさがし方については、以下に昨年10月に配布したレジュメ「卒論への道(その3)」の一部を再掲します。

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  • 自分の調査にとってメインの参考文献 → 単著もの指定。新書、論集は除く。先輩の卒論(単著)は、参考文献としても、卒論の過去例としてもとても有用なのでかならず複数チェックする。
  • 単著でも『~入門』『~概論』のような本は、参考書として勉強にはなるが、ここでいう卒論に直結するようなメインの参考文献ではない。(そして、そのような本は最初から最後まで読んではいけない。自分に関係のある章をいくつか吟味して、そこだけ集中的に読むべき。論集の場合も同じ。)
  • 最初の段階では、webで探すよりも、図書館に行って本棚に並んでいる本のなかから探してみる方がラク。(例;まず1冊これかな?というものをwebで探して、図書館でその本の周りにある本とかみてみる。)web検索では適切なキーワードが分かっていないといけない。図書館の本棚はキーワードではなくテーマ、分野、トピックなどでグループ分けしている。
  • 興味ありそうな本なら、①目次、②本文の最初と最後の10ページずつ(つまり序章と最終章)、③本文全体で図表によって示されているデータすべて(写真含む)、の3つは必ずみてみる。それで、自分の調査のヒントがありそうだと思ったら、④巻末の参考文献リストをみて、関連書にどんなものがあるかを調べる(巻末ではなく、各章の終わりにリストが載っていたり、註という形でしか出ていないものもある。参考文献がどこにも示されていない文献はダメ)。→ そして・・・⑤より興味のありそうな章から読んでいく。
  • 世の中にとっては大事な本でも、自分にとっては興味の持てない本、卒論の調査にとっては関係ない本というのはいくらでもある。①~③の途中で、これはまったくちがうな、興味を持てないな、と思ったらひとまずその本は候補から落とす。
  • 10冊くらいについて上の①~③をやっていくと、目次をみただけで、その本全体の内容がなんとなくイメージできるようになっていくので便利。
  • 卒論は調査して書くので、調査して(できれば現地調査)書かれた本でないと、重要参考文献にはならない。文献は、全体をまんべんなく読むのではなく(退屈)、なにが調査対象で、どのような視点で、なにが問題とされ、どのような方法で調査をおこなって、どういうデータのまとめ方をしているか、をチェックする(卒論調査の方針を立てるという目的に沿った読み方)。結論としてなにが書かれているか、よりもどういう手順で論じられているかを読み取ることのほうが大事。
  • 数をみないと当たらない。2-3冊からではなく、50冊から2-3冊選ぶくらいのつもりで。
  • 気になる文献すべてを手に入れたり、図書館や人から借りたりすることはできない。でも先々のために自分でリストは作っておこう。文献リストの作り方は、先輩の卒論のものを参考にする。
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また、論文の読み方についてはここを参照。この場合は、本の読み方もほとんど同じです。

2015年3月3日火曜日

2015年度前期のゼミ

やり方や、やることの細かい点については、初回に決めたいと思いますが、ゼミメンバーのみなさんとこれまでなんとなく話して、決まってきた大枠を確認しておきたいと思います。

  • 3年生、4年生の合同ゼミであること
  • 3年生は、前回エントリーで示したような指定文献の講読
  • 4年生は、(1)自分の卒業研究と関連の深い文献紹介
  • 4年生は、(2)3ヶ月に一度くらい、卒論調査発表
  • 4年生は、(3)3年生の発表にコメント

というかんじです。
だいたい3年生の発表と4年生の発表が半々くらいの割合になるように考えます。発表がなく、私から話をするだけの回もあると思います。

なお;

  • 4年生は、卒論調査をやる場合にはゼミ欠席をみとめる
  • そのかわり、翌週には「卒業研究」の時間に報告する

ゼミの時間帯は、火曜日の14:20-15:50、16:00-17:30の2コマです。時間オーバーしないようにこちらも気をつけます。

このほか、就活についての情報共有とか勉強会のたぐいを、希望があれば4年生主導でやってもいいかもと思っています。たとえばゼミの最後の30分を利用するとか。大学受験と同じで、あるていど情報共有をしておけば不安も減るし、やることがみえてくるかもしれませんので、ほかにそういう場がなければ、そういうのもいいでしょう。

それから;

  • 4年生はゼミのほかに「卒業研究」の時間があります

おもに、やってきた調査報告とこれからの卒論のすすめ方を話し合います。調査報告については、こちらも参照。時間帯は水曜日の14:20-15:50、16:00-17:30の2コマ分ですが、毎週はやりません(その時間を利用して調査をすすめましょう)。いまのところ、前期は隔週でやる予定です。1回に発表する人は3人まで。これも、細かいことはゼミ初回にお話ししましょう。

2015年3月2日月曜日

3年生のゼミ講読文献(候補)

新3年生(現2年生)の2015前期ゼミでの講読文献候補です。


  • 日本村落研究学会編『日本農村の「20世紀システム」ー生産力主義を超えて』農山漁村文化協会、2000年
  • 日本村落研究学会編『消費される農村ーポスト生産主義下の「新たな農村問題」』農山漁村文化協会、2005年 (→参照
  • 湯沢雍彦、宮本みち子『新版 データで読む家族問題』NHKブックス、2008年 (→参照
  • 小浜ふみ子『都市コミュニティの歴史社会学ーロンドン・東京の地域生活構造』御茶の水書房、2010年 (→参照
  • 山口恵子編『故郷サバイバルーフィンランドと青森のライフスタイル』恒星社厚生閣、2011年 (→参照
  • 奥井亜紗子『農村−都市移動と家族変動の歴史社会学ー近現代日本における「近代家族の大衆化」再考』晃洋書房、2011年 (→参照
  • ハワード・ベッカー(村上直之 訳)『完訳 アウトサイダーズ』現代人文社、2011年 (→参照
  • 舩橋晴俊、長谷川公一、飯島伸子『核燃料サイクル施設の社会学ー青森県六ヶ所村』有斐閣、2012年 (→参照
  • 上野千鶴子『女たちのサバイバル作戦』文春新書、2013年


難易度や分量はさまざまですが、この中から3点〜5点ほどを選んで(分厚い本は一部を取り上げる)読んでいきます。

とくにどれを読みたいという希望、ほかにも講読希望の文献があれば、連絡をください。
4月13日(月)までに候補を固め、14日(火)のゼミの時間に話しあって決めます。

2015年2月24日火曜日

長く、汚いフィールドノーツ

 観察記録や聞き書き(インタビュー)の際のフィールドノーツについてです。

すでに、現3年生(新4年生)は卒論のための予備調査を始めています。文献をどんどん読んでいって自分の関心を掘り下げていくことが難しいなら、さっさと調査を始めて試行錯誤して関心をつかまえていこう、という方針です。12月以来、各自試しに現場に行って観察なり聞き書きなりをやって、ゼミでその報告をしてきました。

ゼミで配布されるレジュメをみて、気になることがありました。内容が、あまりにすっきりしすぎていることです。まとまってない長いものを人にだしても、印刷する紙のムダだとか、そういう考えかもしれません。でも、それ(すっきり短い)では情報不足で、いろいろ質疑応答を経ながら検討していくことが難しい。そこで私が言ったのは「もっと長く、汚いノーツをみせてください」ということでした。ゼミは小規模なので印刷しても10人分程度。恥ずかしくももったいなくもないので大丈夫です。

長くて汚いノーツとは、具体的にどういうものでしょうか。
アメリカの社会学者、アーヴィング・ゴッフマンは次のように述べていました。

私たちは、奇妙なトレーニングを受けて来たせいで、無駄も隙もない文章を書こうとする傾向があります。これをしたら最悪です。できるだけ饒舌に、できるだけだらだらと書きなさい。そして、饒舌で副詞に満ちたその散文がいかにだらだらしたものであろうと、それは依然として少数の言葉で書かれた「分別ある文章」に縮減された資料よりも、より豊かな母資料なのです。(人がそれを読むことなど気にせず)できるだけ十分にできるだけ饒舌に書くことから始めなければならないということです。(ゴッフマン 2000;適宜中略した箇所がある)

ここで、観察でも聞き書きでも、現場の調査記録をどのように形にしていくのか、という手順・工程をひとつひとつ、みていきましょう。

①フィールドでの手書きの調査メモやノーツ → ②それをPCに打ち込みファイル化したもの → ③それに少しだけ整理を加えたもの

これはフィールドでの記録を書き留めてから整理していくまでの最初の3段階で、卒論の形になるまでにはおそらくあともう3段階くらいの整理・分析を経ることになります。ゴッフマンが言っているのは①、②の段階のものでしょう。卒論調査のゼミで出てくるものは③の段階のものです。

①フィールドでの手書きの調査メモやノーツ
 自分しかみない手書きノーツなので、きれいな文章でなくてもいいし、自分で見返してあとで分かるなら記号でもいい。観察記録での人のちょっとしたしぐさ、聞き書きのさいの独特の言い回しなど、細かい点でも気になるところをなんでも、書き留めておきましょう。ただし、動きのあるものを観察しながらとか、人と対話しながらとかいう状況で、同時にいろいろなことを書き留めるという作業には限界があります。ゴッフマンの言うようには、現場では多くのことを書けません(だからいちいちきれいな文章にすることを気にしない、メモでいい)。動きのないものの観察(場所の観察とか)については、すきを見つけてできる限り書き込む。人の動きやしゃべりの内容はキーワードをどんどん書いていく。

②それをPCに打ち込みファイル化したもの
 現場で書き留めた調査メモやノーツは鮮度があります。できるだけ早くPCで文章化したものにし、ファイル化しましょう。フィールドノーツとしてメモされている内容は、そのまま写してタイプすれば、自分で思っているよりずっと量的に少ない。そのまま写すのではなく、メモされたキーワードなどから調査の現場を頭の中で再生して、記憶していること、思ったこともすべて書き込むのです。このとき、写した部分と加筆した部分、見たり聞いたりした事実と、自分が思ったことやコメントとを区別できるようにフォントや色を変えたり、写しただけのバージョンと加筆バージョン、コメント加筆バージョンなど別バージョンのファイルに分けるなども工夫です。この作業は、理想的にはその日のうちに、できれば現場で調査してから1週間以内にすることです。個人差がありますが、あれこれやることがあって忙しい人はとくに、多くの出来事にまぎれて記憶が薄れます。私は記憶力があるほうで、時間のあり余っていた大学院生時代には2ヶ月くらいは大丈夫でした。いまは半月くらいが限度かなと思います。

③それに少しだけ整理を加えたもの
 ゼミの場で揉むときには、②を全部出してくれてもいいのですが、人が見て分かりやすいように少し加工や整理をほどこしましょう。たとえば見出しを付ける、順序を編集する、など。①を写したバージョンだけでは、内容が少なすぎ、人が見ても分からないのでダメ。ゼミでの調査報告は、出来がいいかどうかをみているのではありません。そこからどこをどう深めて調査をやっていくといいのかを見つけるためにやるのですから、手がかりは多い方がいい。この場合の手がかりとは、フィールド(調査の対象、調査の現場)についての手がかりであるだけでなく、調査者の関心についての手がかりです。だから、かならず②が必要なんです。

というわけで、少なくともゼミの段階では長く、汚いフィールドノーツをもとめます。それを晒しても、なんの損もありません。見せた人もそうですが、私も含め、周りも得るところが大きいのです。

【文献】
ゴッフマン、アーヴィング(串田秀也 訳)「フィールドワークについて」、好井裕明・桜井厚編『フィールドワークの経験』せりか書房、2000年、pp.16-26.(もともと1974年の学会スピーチだったもの。1989年に英文雑誌に所収されたものの翻訳)

2015年1月29日木曜日

学生のみなさんへの但し書き

このblogは、ひとつのエントリーを書くのにだいたい1時間、長くて2時間ほどしかかけていません。その点、本や論文に印刷される原稿にくらべれば内容の厳密さや正確さは劣ります。

いちばんいいのは本や論文を読んで勉強することです。次にいいのはこのblogを定期的に読み直すこと(まちがいや分かりにくいところは時々修正しています)と、質問やまちがいの指摘に来てくれることです。

よろしくお願いします。

**

[2015.2.15 加筆]
各エントリーには参考文献の情報を載せています。詳しくつっこんで勉強したい人は、ぜひ直接あたってみてください。ほとんど図書館に所蔵されていますし、ない場合は私に尋ねてください。

2015年1月28日水曜日

参与観察について

参与観察(participant observation/participate observation)とはなにか、社会学や社会調査の教科書にはかならず書かれています。用語、方法、歴史については教科書とか社会学事典とかwebで説明をみてください。ここではその方法をとることの意義を説明します。

どんな社会集団でも、その中の人(成員)に独特の規範(慣習、暗黙のルール)を発達させています。その規範を通して、いろいろの社会事象や他人の行為についての解釈がなされます。かりに社会集団の数だけ規範が存在するとすれば、客観的には同じであるようなある社会事象Xや行為(動作)Yについての解釈も、同じ数だけ存在することになります。こうしたそれぞれの社会集団における解釈のあり方はいわば「ローカルなものの見方(ローカルモデル、1次モデル)」です。社会集団への参与観察をすることの第1の意義は、このローカルモデルへの接近です。

第2の意義は、ローカルモデルを抽出することで、これまであった社会事象や行為、社会集団についての一般的な見方に修正を加えることです。この一般的な見方を「2次モデル」と呼びましょう。たとえば社会集団・社会事象について「ギャングの支配するスラムは無法地帯だ」という2次モデル(2次モデルa)があるとします。ところが参与観察によってローカルなモデルが抽出され、ギャングはギャングなりの規範があり、スラムにはスラムなりの秩序があるという新たな理解が成立する(修正2次モデル=2次モデルb)という具合です。

行為については、目くばせの例を使って考えてみましょう。客観的には「片目のまぶたをいったん閉じてまたすぐに開く」のように記述できる「動作」も、社会集団によってさまざまな社会的意味をもった「行為」として解釈されます。いま、単純に3つの社会集団を想定します。アメリカ人社会(ウインクを知っていて、ふだんウインクする)、ウインクという外来の習慣が入ってくる前の明治期の日本人社会(そもそも知らない)、ウインクという習慣は知っているがふだんとくにはやらない現代の日本人社会。これらの3社会で比べてみて、同じ動作でも「行為」としてもつニュアンスはずいぶんちがってくるはずです。

明治期と現在の日本人社会では、目にホコリが入ったんだろうとか、くせのあるまばたきだとか、アメリカンのふりしてフザけているのだとか。また、ウインクがふつうに通用しそうなアメリカ人社会のなかでも、どんなときにウインクするかは、アメリカの中にあるそれぞれの小さな社会集団のあいだでちがうかもしれない。(そして、世界にはわれわれの知っているウインクとはちがった目くばせの意味をもっている社会集団があるかもしれません。)ここから出てくる答えは、①それぞれの社会集団の目くばせについての1次モデルが分かる(多様性、おもしろい!)、②それによって、たとえばアメリカ人社会のウインクという行為へのそれまでの一般的理解(2次モデルa)について相対化(異化)して考えることができる(2次モデルb)ようになる、というものです。

参与観察は、フィールドワークにおける1次モデルへの接近と理解を可能にし、2次モデルの修正(2次モデルa→2次モデルb)をめざすということでした。

以下は余談。

上に書いた目くばせの話は、アメリカの文化人類学者ギアツ(Cliford Geertz; 1926-2006)が言っていたことが元ネタです。かれは、参与観察である社会を調査する意義のひとつを、「厚い記述(thick description)」ができることだと言いました。このエントリーで言えば「1次モデルへの接近」です。たとえばある人物がおこなった目くばせを「秘密のたくらみがあるかのように友人をだますため、ウインクの真似ごとをする」というところまで解釈するには、参与観察をおこなってその社会集団で共有されている規範や文脈、社会関係への理解がなければ不可能なのであり、その理解をふまえた行為や社会事象記述が「厚い記述」なのです。

【文献】
C.=ギアーツ(吉田・柳川・中牧・板橋 訳)『文化の解釈学[1]』岩波書店、1987年(原著は1973年)

2015年1月23日金曜日

社会学A_2014の試験

人文1F掲示板にも掲示していますが、来週2月4日(水)実施の2014年度「社会学A」試験で持ち込み可の資料は

  • 自作のノート
  • 講義時配布のレジュメ

のみで、他は認めません。このwebサイトも参考にして、事前にしっかりノートを作成しておいてください。

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試験は終了しました。受験者のみなさんおつかれさまでした。

2015年1月16日金曜日

メモ→ノーツ、データの行き先

昨日の社会調査実習の時間に、個人報告書の作成過程で気がついた今年度の実習調査の反省点、来年度実習や卒論調査に生かせる点などを言ってもらいました。あがったのは2点(2人)だけでしたが、どちらも重要だったので以下に覚え書きします。

1)フィールドでの記録(メモ→ノーツ)

  • 実習時間前などに、調査時に書き付けた調査メモを見返すと、「データ」としては中途半端な記載しかないので悔やまれたことが何度もある。

→ もっともな難点。観察についてはその場でできるだけ克明に、余分だと思われるものでもどんどんメモする(人にみせるための記録じゃないし)。観察内容は、あとになって思い出せないものごとが多い。現場での聞き取りメモについては、人のしゃべりをすべてあまさず記していくのは絶対無理。だけど内容はけっこう頭の中で憶えていて再生できる。


→ だから現実的には、①その場で的確なメモをとること、②時間をおかずメモを補足すること(その日の夜とか)、の2つが重要。インタビューは録音記録を取っている場合も、かならずメモはつくる。相手のしゃべったことは克明に録音されるが、メモは自分が相手の話のどこが気になっているかの記録でもあり、のちのノーツ作りのときにメモはその効力を発揮する。

  • 写真も、撮るのを忘れていたものがあって、撮っておけばよかったと後悔。

→ 実習調査の場合、グループワークだから写真係が撮る。撮ってほしいものは指示すればいい。役割分担したら遠慮しない。これ、就職してからもグループワークの鉄則。あるいは、係にまかせず自分でもスマホでどんどん撮る癖をつける。これは個人プレイの卒論調査では必須。


2)データをレポートに(データの行き先)

  • インタビューをおこなった内容で、個人報告書には盛り込めなかったものがたくさんある。①興味深い内容だったのでとても惜しいが報告書の流れの中にどう組み入れていいのかわからなかった、②報告書はインタビュー先の方々にも配るので申し訳ない。

→ もっともな難点。フィールド調査にもとづくたいていの報告書や論文は、調べて得たデータの3割未満しか完成稿に反映されていない。だが、自分の興味深いとかんじたデータはできるだけ、どこになぜ興味があるのか、興味深い点と全体の流れ・論旨とのあいだにどのような位置関係があるのかを熟考し、場合によっては1章分増やすくらいのつもりで試行錯誤する(今回は時間不足か)。

→ 複数年にまたがるテーマの調査実習なら、今回の個人報告書で生かせなかったデータも、全体報告書や来年度の調査に生かせる可能性はあるので、データを引き継ぐようにする。ただし卒論は個人プレイなので、あくまでがんばって卒論に組み入れる。ひとりだと煮詰まるので同級生や教員(私)に相談する。

2015年1月10日土曜日

再帰性の徹底(Giddens)について

さて、前回エントリーは社会学が近代を取り扱うときに、近代性(modernity)の理論的前提と考えることについて述べました。脱埋め込みというのがkey ideaでした。今回はもうひとつ超重要概念として「再帰性(reflexivity)」について説明していきます。参考書は、前回挙げたAnthony Giddensの本。「再帰性」は、ギデンズが近代における社会のあり方の特徴(とくに後期近代を記述するときに用いたコトバです。社会学以前のコトバの意味としては、reflex-ibilityだから、反射-可能性とか反省-可能性とか。

ここでの社会学者の想定はシンプルです。前近代の伝統社会は変化しない(冷たい社会)。近代社会はつねに変化する(熱い社会)。常に変化する、とは単に前回エントリーの「直線的な時間観でもって未来を設計の対象とし、不可逆的に進歩・発展していく」という近代的社会観や、工業化後の科学技術革新と経済の成長スピードの加速、といった意味合いだけではない。社会的意味の世界でも変化は常で、その変化のあり方がとても特徴的です。

再帰的な振る舞いについて、私はひとまず「あえて(自覚的に)~するという態度」のように言い換えます。つまり、自分の振る舞いを客観するかのような視点をもって振る舞うこと。その当然の結果として個人や社会の素朴でない複雑なあり方を生みます。それは近代の制度がつねに諸個人の行為を自己チェックし、社会の新たな意味を見いだし、反省と改善を迫るという点と関係している。そしてこの再帰性が「つねによりよい合理的な方向への変化」を方向付けるとは限らない、というのがこの概念のもうひとつのポイント。

通常の生活者は、自分が空気のように浸っている自社会や自文化については説明できない。そもそも文化は「実践する」ものであって「説明する」ものではないからです。たとえば、われわれは葬式では白黒幕、入学式では紅白幕を会場に張る。かりに日本文化のフィールドワークしているアメリカの大学院生に「なぜそうするのか、白黒や紅白の象徴的な意味は何か」と尋ねられたところで、それらの意味や歴史的ないわれについて説明することはふつう(調べものをしない限り)できません。ただし、我々は紅白幕と白黒幕を取り違えること(お葬式に紅白幕を張ったり・・・)は決してない。文化は「実践する」ものであって「説明する」ものではない、と私が言うのはそういうことで、これが自社会や自文化に対する素朴な態度です(「伝統」に対する素朴な態度、と言ったほうが正確かもしれない)。

ところが社会の再帰性が増してくると、自分のふるまいに対する自覚的な態度がそこここに見られるようになってきます。「説明する」ということではないかもしれませんが、どこかに自社会や自文化、ないし社会のなかでのカテゴリカルな自分について、すでにある説明を意識しながら行為するような態度が出てくる。誰も、素朴ではありえない。

  • いずれの文化においても、社会の実際の営みは、その営みのなかに絶えず供給されていく新たな発見によって日々手直しされていく。しかし、慣習の修正が、物質的世界への介入も含め、原則として人間生活のすべての側面に徹底して及んでいくようになるのは、近代という時代がはじめてである。[ギデンズ 1993; p.56]

つまり社会が再帰的に変化するというのは前近代の伝統社会でも部分的にみられた。しかし、近代社会の特徴はそれとの決定的な程度のちがいにあり、再帰性は徹底しているとギデンズは言う。そしてこの徹底した再帰性は、われわれの社会をつねに安定的に変化させるとも限らない、と。

こうした社会の再帰性にいちばん貢献しているのが、じつは社会調査です。ギデンズも言うように、社会調査と現実社会との関係は、「社会学・社会科学は〈社会〉を対象にした活動でもあり、かつ〈社会過程〉を構成する一部でもある」という複雑な入れ子状のものです。社会学は〈社会〉を観察しますが、社会調査という社会学の活動もその〈社会〉のなかに含まれ、社会調査の結果はその〈社会〉に影響を与えます。
たとえば、結婚しようとするとき、ただ情熱に突き動かされてダダッと結婚する人もいるでしょうが、多くの人は自分の年齢・収入・ステイタス(学生・勤め人・バイトetc.)で結婚するとは現在の社会においてどうなのか、ということを気にします。各種社会調査は、2010年代の日本で結婚がいったいどのようにおこなわれているのかについて、統計情報を提供するのです(こちらは→厚労省統計)。TVなどのメディアにおいて、社会学者をはじめとした有識者がコメントする内容の元ネタに、これらの社会統計は使われます。それを視聴するわれわれは、いまの社会のいまの自分のステイタスで結婚することはどうなのかをあらかじめ知り、するか・しないかを決めていく。

こうした決定は、ただちにその〈社会〉の現実の一部を構成しますから、〈社会〉が先か、統計が先か、よく分からなくなりますね(ニワトリとタマゴの関係)。少なくとも、〈社会〉の観察結果が統計だという「〈社会〉→統計」の一方向的な関係を素朴に想定すべきでなく、「社会〉→統計→〈社会〉→…」という図式で理解すべきでしょう。再帰的関係とはまさにそういうことです。

かくして再帰的運動をもった変化が続いていくのが近代社会。以前も触れたように、統計の歴史は近代国家の歴史とともにあると言っても過言でない。近代においてはこうした再帰性を生むさまざまな知識が存在する。社会活動および自然との物質的関係の大半の側面が、新たな情報や知識に照らして継続的に修正を受けやすいのです。

社会における知識や社会観、自己観が再帰的でしかあり得ないという状況は、人間や社会を安定させるというよりはより動的に複雑に、そして不安にさせる。この側面が、社会学では注目されています。

  • モダニティは再帰的に適用される知識のなかで、またそうした知識をとおして形成されていくが、知識を確信性と同一視するのは、誤りであることが判明していった。われわれが方向感覚を失って生きる世界は、再帰的に適用された知識によって徹底的に形成されているが、同時にそうした知識の構成要素がいずれも修正を受けないと決して断言できない世界なのである。[ギデンズ 1993; pp.56-57]

前回の講義では、近代的な理性のあり方の前提のひとつには、時計時間があると述べました。時計時間の前提ゆえに、われわれは計画し、未来を設計の対象にするのだと。そしてそれは、中長期的な不確実性を減じていくという態度なのだと。

たとえば工業化も農業の近代化もとっくに果たした先進国の人間からみれば、アフリカ地域農村は、天水農耕(灌漑はなく雨に依存した農業)はじめ、いろいろと不確実性にさらされた「伝統的」世界にみえます。開発援助はそうした社会的状況から不確実性(に起因する貧困)を除去していこうとする活動ということになります。一方の、知識も技術も発達した先進国の後期近代は、その意味での不確実性は比較すればずっと低減しているはずなのですが、この再帰性の徹底ゆえに、なんとなくの不確かさの感覚が常にあるのです。

【文献】
A.=ギデンズ(松尾精文・小幡正敏 訳)『近代とはいかなる時代か?モダニティの帰結』而立書房、1993年(原著は1990年)

2015年1月7日水曜日

近代化の基礎(参考書)

2014年度後期「社会学の基礎」私担当分の1回目は、社会学がどのように近代を考えるかについてざっと述べました。ルネサンス、宗教改革、市民革命、産業革命。西洋の近代化の基礎を作ったイベントとされるこれらについては、高校世界史の参考書として;

  • 木下・木村・吉田編『詳説世界史研究[改訂版]』山川出版社、2008年

があります。これを持っている方は、第9章「近代ヨーロッパの成立」と第10章「ヨーロッパ主権国家体制の展開」、第11章「欧米における近代社会の成長」をぺらぺらおさらいしてみてください。

政治経済的に大きなイベントの流れとして歴史を把握することは、基礎勉強として重要です(私もおさらいしなくては)。しかし高校世界史は少ない分量でまんべんなくカバーしなければならないし、「史実記載」のスタイルを採っていて、著者によるそれぞれの史実に対する意義付けや解釈をできるだけ書き込まないように遠慮しているため、特定のテーマについて論じられているわけではありません。

社会学は、高校世界史とはもう少しちがった、たとえばその時代に普通に暮らしていた人たちがどのように近代や近代化を経験したのかに着目したり(歴史社会学や社会史)、近代性の条件やメルクマール(目印)となる要素を抽出して近代的世界を理解しようとします(理論社会学)。

講義では時計時間の発明の話をひとつの軸としました。たとえば近代的な時間の流れの歴史社会学は;

  • 福井憲彦『時間と習俗の社会史ー生きられたフランス近代へ』新曜社、1986年

理論的なものでは;

  • 真木悠介『時間の比較社会学』岩波書店同時代ライブラリー、1991年(原著は1981年発表)

があります。ローカル世界から脱し、近未来を設計の対象ととらえて思考する近代的理性は時計時間という前提と切り離せません。機械時計が普及するのはだいたい18世紀から19世紀への変わり目です。福井(1986)は、機械時計が発明され都市の威信の象徴(大きな時計塔)だった17−18世紀から、鉄道、学校、工場という近代化の社会経済的インフラと密接にかかわりながら普及していく具体的なイメージが前半で把握でき、後半で、5月からスタートして4月まで、1年をめぐるかたちで、時計時間が普及する前のフランス農村のくらしのようすが紹介されています。

人類学や社会学のモデルが言ったように、前近代/近代では、人びとの社会意識のなかでの時間の流れは円環的/直線的と表現できるような対比で、社会の状態は冷たい社会/熱い社会のような対比で表現されるようなものとなります。前近代的農村共同体のローカルな時間の流れは毎日の陽の出・陽の入り、一年の農耕暦(耕起 - 播種 - 除草 - 収穫etc.)とともに「繰り返す」もの。

社会人類学者E. Leachによればこの繰り返しは円環的というより、振り子のように振動的だ。現代の我々が現在に軸足を置きつつもつねに未来を気にして「現在-未来」という直線的なパースペクティブで時間を把握しがちなのに対して、前近代の共同体では「過去-現在」の円環/振動で時空はイメージされ、過去はつねに潜在する現在としてある。つまり、前近代では時間はつねに具体的内実(社会事象)を詰め込まれたもの(すでに経験された過去中心だから)であるのに対し、近代では抽象化された時間の流れとなっている(未経験の未来へと連続する時間という概念そのものとしてイメージされているから)。→ 続きは真木(1991)で。

さて。前近代のローカな共同体たちはいかして脱ローカル化し、近代的な時空間が実現するか。近代化は全体としては近代国家成立の過程であり、前期近代においては都市化と工業化をその社会変化の最大の特徴とする。ここに出てくるのが、前近代的農村のローカルな共同体の崩壊のストーリーで、第2次大戦後の日本の社会科学ではこのストーリーを下敷きにした発展段階論・近代化論が盛んでした。たとえば経済史学では、イギリスの囲い込み運動(エンクロージャー)を農村-都市人口移動と農村共同体崩壊の契機としているのが定番です。

社会学はこうした「史実記載」による共同体崩壊のストーリーによる近代化把握とは別に、近代化にドライブがかかる契機を理論的に検討しようとします。近代的なものの考え方ということで言えば、合理化・均質化という面が大きな特徴。たとえばイギリスのA. Giddensは、貨幣と時計時間などの象徴的通標がいろいろな社会事象をローカルな文脈からの脱埋め込みを促進する、というのが決定的な要点だと言います。詳しくは;

  • A.=ギデンズ(松尾精文・小幡正敏 訳)『近代とはいかなる時代か?―モダニティの帰結』而立書房、1993年(原著は1990年)

の第Ⅰ章あたりを読んでほしいのですが、要するに貨幣や時計時間が、われわれがいま自由に移動し、いまいるローカルな社会にわれわれ自身のコミュニケーションをつねに帰属させることなく(目の前にいない人や状況との)自由な範囲でやりとりできる、そういう状況が実現するには必須の前提となっているということ。

いまいる特定の現場(locale)にしばられない。これは時間も空間も特定のローカルな文脈(事情)に左右されない標準化されたものとなってはじめてそれが可能なのであり、このローカル世界からの標準化作用をギデンズは「脱埋め込み」と呼びます。別の言い方では、時間と空間の空白化(自由な書き込みや計画の対象となりうるという意味で)とも言っています。この脱埋め込みに欠かせないツール(象徴的通標、token)の代表格が近代貨幣と時計時間だというわけです。

ここでは「時間」を中心に紹介しましたが、もうひとつの「貨幣」については上記のギデンズ本のほかに以下の参考書を挙げておきますので、興味のある人は読んでみてください。

  • 内山節『貨幣の思想史ーお金について考えた人びと』新潮選書、1997年