2015年2月24日火曜日

長く、汚いフィールドノーツ

 観察記録や聞き書き(インタビュー)の際のフィールドノーツについてです。

すでに、現3年生(新4年生)は卒論のための予備調査を始めています。文献をどんどん読んでいって自分の関心を掘り下げていくことが難しいなら、さっさと調査を始めて試行錯誤して関心をつかまえていこう、という方針です。12月以来、各自試しに現場に行って観察なり聞き書きなりをやって、ゼミでその報告をしてきました。

ゼミで配布されるレジュメをみて、気になることがありました。内容が、あまりにすっきりしすぎていることです。まとまってない長いものを人にだしても、印刷する紙のムダだとか、そういう考えかもしれません。でも、それ(すっきり短い)では情報不足で、いろいろ質疑応答を経ながら検討していくことが難しい。そこで私が言ったのは「もっと長く、汚いノーツをみせてください」ということでした。ゼミは小規模なので印刷しても10人分程度。恥ずかしくももったいなくもないので大丈夫です。

長くて汚いノーツとは、具体的にどういうものでしょうか。
アメリカの社会学者、アーヴィング・ゴッフマンは次のように述べていました。

私たちは、奇妙なトレーニングを受けて来たせいで、無駄も隙もない文章を書こうとする傾向があります。これをしたら最悪です。できるだけ饒舌に、できるだけだらだらと書きなさい。そして、饒舌で副詞に満ちたその散文がいかにだらだらしたものであろうと、それは依然として少数の言葉で書かれた「分別ある文章」に縮減された資料よりも、より豊かな母資料なのです。(人がそれを読むことなど気にせず)できるだけ十分にできるだけ饒舌に書くことから始めなければならないということです。(ゴッフマン 2000;適宜中略した箇所がある)

ここで、観察でも聞き書きでも、現場の調査記録をどのように形にしていくのか、という手順・工程をひとつひとつ、みていきましょう。

①フィールドでの手書きの調査メモやノーツ → ②それをPCに打ち込みファイル化したもの → ③それに少しだけ整理を加えたもの

これはフィールドでの記録を書き留めてから整理していくまでの最初の3段階で、卒論の形になるまでにはおそらくあともう3段階くらいの整理・分析を経ることになります。ゴッフマンが言っているのは①、②の段階のものでしょう。卒論調査のゼミで出てくるものは③の段階のものです。

①フィールドでの手書きの調査メモやノーツ
 自分しかみない手書きノーツなので、きれいな文章でなくてもいいし、自分で見返してあとで分かるなら記号でもいい。観察記録での人のちょっとしたしぐさ、聞き書きのさいの独特の言い回しなど、細かい点でも気になるところをなんでも、書き留めておきましょう。ただし、動きのあるものを観察しながらとか、人と対話しながらとかいう状況で、同時にいろいろなことを書き留めるという作業には限界があります。ゴッフマンの言うようには、現場では多くのことを書けません(だからいちいちきれいな文章にすることを気にしない、メモでいい)。動きのないものの観察(場所の観察とか)については、すきを見つけてできる限り書き込む。人の動きやしゃべりの内容はキーワードをどんどん書いていく。

②それをPCに打ち込みファイル化したもの
 現場で書き留めた調査メモやノーツは鮮度があります。できるだけ早くPCで文章化したものにし、ファイル化しましょう。フィールドノーツとしてメモされている内容は、そのまま写してタイプすれば、自分で思っているよりずっと量的に少ない。そのまま写すのではなく、メモされたキーワードなどから調査の現場を頭の中で再生して、記憶していること、思ったこともすべて書き込むのです。このとき、写した部分と加筆した部分、見たり聞いたりした事実と、自分が思ったことやコメントとを区別できるようにフォントや色を変えたり、写しただけのバージョンと加筆バージョン、コメント加筆バージョンなど別バージョンのファイルに分けるなども工夫です。この作業は、理想的にはその日のうちに、できれば現場で調査してから1週間以内にすることです。個人差がありますが、あれこれやることがあって忙しい人はとくに、多くの出来事にまぎれて記憶が薄れます。私は記憶力があるほうで、時間のあり余っていた大学院生時代には2ヶ月くらいは大丈夫でした。いまは半月くらいが限度かなと思います。

③それに少しだけ整理を加えたもの
 ゼミの場で揉むときには、②を全部出してくれてもいいのですが、人が見て分かりやすいように少し加工や整理をほどこしましょう。たとえば見出しを付ける、順序を編集する、など。①を写したバージョンだけでは、内容が少なすぎ、人が見ても分からないのでダメ。ゼミでの調査報告は、出来がいいかどうかをみているのではありません。そこからどこをどう深めて調査をやっていくといいのかを見つけるためにやるのですから、手がかりは多い方がいい。この場合の手がかりとは、フィールド(調査の対象、調査の現場)についての手がかりであるだけでなく、調査者の関心についての手がかりです。だから、かならず②が必要なんです。

というわけで、少なくともゼミの段階では長く、汚いフィールドノーツをもとめます。それを晒しても、なんの損もありません。見せた人もそうですが、私も含め、周りも得るところが大きいのです。

【文献】
ゴッフマン、アーヴィング(串田秀也 訳)「フィールドワークについて」、好井裕明・桜井厚編『フィールドワークの経験』せりか書房、2000年、pp.16-26.(もともと1974年の学会スピーチだったもの。1989年に英文雑誌に所収されたものの翻訳)