2017年8月18日金曜日

地域社会学卒論集 2015-2016

ちょっと前になりますが、ゼミ1期生と2期生あわせて10人分の卒論を印刷・製本した『地域社会学卒論集 2015-2016』(約400ページ)ができました。

内容はけっこうバラエティに富んでいて、読み応えあります。各論文には、私のコメントもつけています。卒業研究の参考書としては絶好かと思います(ゼミ選びの参考書にも)。

読みたい人は、現役のゼミ生に見せてもらうか、2冊だけ実習室に置いてあるのでそれを読むかしてください。そのうち、大学図書館にも所蔵してもらう予定です。どうしても自分のものが欲しい場合には、相談してください。

2017年7月18日火曜日

リスク社会化(U. Beck)について

講義の最終2回分では、後期近代の特徴について、社会学者のふたつの代表的な議論を紹介しました。先週はギデンズ(Anthony Giddens)の「再帰性の徹底」。今週はベック(Ultich Beck)の「リスク社会化」でした。

ベックは前期近代においては富の再配分(そしてそれをめぐるコンフリクト)が問題だったのに、後期近代においてはリスクの再配分(そしてそれをめぐるコンフリクト)が問題となる、と言います。どういうことか。これを説明します。

まずはリスクという概念です。リスクという語自体は、日常語として使われています。でもそれは、危険という言葉とほぼいっしょの意味で使われています。しかしベックの場合、「リスク」は危険とはちょっとちがった概念だということがポイントです。

簡単に言えば、(1)後期近代における「リスク」は従来の「危険」に比べれば、見えにくいこと(不可視性)、そして予測や計算が難しいこと(計算不可能性)が大きな特徴です。また、(2)これらの「リスク」は、社会・経済・科学技術が発達することによって生じるものであることも重要です。従来は、社会・経済・科学技術が発達することは、さまざまな危険や不確実性を回避する方向だと思われていたからです。

もうすこし説明を加えましょう。まず(1)で述べた不可視性計算不可能性についてです。よく使われる例はテロや環境についてのリスクです。私たちは高度に情報化された世界に生きています。「テロリスト」はもちろんそれらの情報を駆使し、ときには操作しつつ「テロ」を実行します。「テロ」事態の発生や「テロリスト」の存在がメディアを通じて報じられる一方で、われわれからはもちろん「テロリスト」が何処にいるのかはまったく見えません。次回の「テロ」についての予測もできません。

環境リスクについては、2011年3月11日以降のわれわれはよく知っています。放射能は目にみえません。もちろんガイガーカウンターで数値として可視化できますが、しかしその数値がどのていどのリスクなのかは、専門家でも意見の分かれるところです。メディアがリスクについての情報を流します。それをわれわれが受容します。けれど、リスクの程度がガイドラインで示されたにせよ、どう対処すべきかは誰も示してくれません。

「テロ」も原発事故も、次の点で共通しており、ベックの言う「リスク」としての特徴を備えています。基本的には発生を制御することが困難です。発生したかどうかも、被害・影響が大きく派手でない限りは実は分かりにくい(爆弾テロではなくサイバーテロなどの場合、原発「事故」ではなく放射能「漏れ」であった場合を想像してください)。また、発生してからの影響が複雑であるゆえに、影響甚大であるが計算不可能であること。

さて、次に(2)で述べた点です。前期近代、とりわけベックが「単純なモダニティ」の典型とみた19世紀における古典的近代性は、ともかく人間文明の進歩は自然環境の征服・馴化の歴史であり、科学的な知識は自然を制御するためのもの、という思考を持っていた。つまり「自然」は人間社会にとっての「危険」や「不確実性」を体現していた。しかし人間のつくりだした産業社会は自然を囲い込んで、その「危険」も「不確実性」もほぼ内部化してしまった。どちらもゼロには絶対にできないけれど、予測し、計算することで回避したり補償したりすることができるようになった。保険というビジネスを考えてみてください。

しかし、高度に発達した科学技術は新たな「リスク」を生み出すことになった。情報化社会のもとで「テロ」はより複雑なものとなり(もっともメディアで報じられるもののなかには、この時代にしては不可解なほど単純なものもありますが)、科学技術の発達は原発の制御不可能なリスクを生じさせた。言い換えると、従来の「危険」は「自然」などと同様「すでにそこにあった状態(外在的)」だったけども、後期近代の「リスク」は「近代社会の活動が生み出した状態(内在的)」だというわけです。

こうした状況のなかでは、たとえば環境リスクを考えてみれば分かるのですが、「自然」は見えないリスクの運搬者となります。風や水は放射能を運びます。生鮮食品もさまざまなリスクをわれわれの食卓に運んでいるかもしれないのです。こうしたリスクのあり方は、3・11後の「風評被害」でわれわれがみたように、不安を社会全体にもたらすのです。

冒頭に戻りましょう。前期近代の富の再配分から、後期近代のリスクの再配分へ。こうした変化のなかで、政治の役割も変化します。富の配分の調整、つまり富や資源(予算)をどのように配分し(どこの、なにに使うか)、「いかに社会や経済を発展させるか」を決めていくのが政治のほとんどだったのが前期近代。後期近代においては、それだけではなく「科学技術はリスクを生み出すが、その場合のリスクをどう処理するか」というリスクの配分が政治の重要問題として浮上します。

しかし、配分する(すべき)ものである「富」と「リスク」とはまったく性質がちがう。富は経済・政治活動の結果、分布する(階層・階級間で不均等に!)。一方リスクは、基本的には人間の活動とは関わりなく無差別に影響する。どんな人もリスクから自由ではいられない。だが、地域間での不均等配分はありえる。その不均等な配分は政治的な決定である。国内の原発の立地について考えてみてください。あるいは国境を越えて、第三世界(いわゆる発展途上諸国)に有害物質が輸送されることを考えてみてください。そのような地域間でのリスクの不均等な配分は、政治的な帰結なのです。

さて、こうした新たなリスクの登場により、2つの動きが生じます。第1は経済面で、リスクがビジネスになる。いったんこうしたリスクが社会の不安を生じさせると、そこに需要が生まれます。保険というビジネスは「テロ」や環境リスク問題には適用できません。リスクや被害の程度を測定することが極端に難しいからです。リスク不安という需要に対応するビジネスは、たとえば健康食品・自然食品などのビジネスやセキュリティビジネスでしょう。ちなみに「健康」についての考え方はリスク社会化の前後でちがうと思います。以前は「病気になったら病院」でシンプルでしたが、いまは「よりよく健康的であるかどうか」という非常に定義も測定も難しいことをテーマに自己管理を推奨する、リスク不安を煽るビジネスがいろいろあります。たとえば、ダイエット(食事制限・体型管理)ビジネスを考えてみてください。

第2の動きは政治面で、先に述べた後期近代になって出て来たリスク配分という新たな課題を扱わなければならなくなる状況です。高度に発達した科学技術はもともと政治がコントロールする範囲の外だとされていた(本当はそうではないと思うけど)。しかし、リスク配分が課題となった以上、科学技術やほかのいくつかの領域についてまで、政治の守備範囲が広げられる。もともと政治では扱いきれないのにも関わらず、政治の扱う領分は広がる。こうした不確かでどっちつかずの政治的領域を指してベックは「サブ政治」と呼びます。

以上を理解してもらったうえで、講義配布レジュメをもういちど読んでもらえば、理解がすすみ、定着するかと思います。

ベックはドイツの社会学者で、著書『リスクのゲゼルシャフト(邦題:危険社会)』は社会学の本としては例外的ベストセラーとなりました。本を読めば分かるように、ベックはおもに環境リスクについての論者です。この本がヨーロッパで出版されたのは1986年。たまたまですが、同じ年にチェルノブイリ原発事故が発生しました。そういうタイミングのよさ(といえば不謹慎かも)がベストセラーに繋がったのかもしれません。少し前まで、ギデンズと並んで存命の社会学者のなかで、社会学というジャンルを超えてもっとも有名な人のひとりだったのに、残念ながら2015年に亡くなりました。ギデンズが追悼文のなかで、リスク社会という概念の要点を述べています。


参考文献
ウルリヒ・ベック(東廉、伊藤美登里訳)『危険社会:新しい近代への道』法政大学出版局、1998年(原著は1986年)
今田高俊「リスク社会と再帰的近代:ウルリッヒ・ベックの問題提起」、『海外社会保障研究』第138号、国立社会保障・人口問題研究所、pp.63-71、2002年

2017年7月10日月曜日

後期近代とは

例によって「社会学のつかう概念を憶えるには、その対になる概念とセットで」。後期近代はもちろん前期近代と対になる概念。近代(modernity)とか近代化(modernization)がなにかは、ここでは省略。自分で勉強しましょう。

講義でよく言っているのは、工業化(第2次産業)が近代化を牽引していたのが前期近代。それから先は高度消費社会で第3次産業が隆盛する後期近代。目安としては、日本での戦後の高度経済成長期、あれまでは前期近代で、そのあと、バブルを経て現在の成熟と停滞までは後期近代。高度経済成長は、一般に戦後10年の1955年から第1次石油危機の1973年まで。

そうすると、年表の何年から何年までが後期近代かという「正解」を知ろうとする人がいる。調べてみると別の説があって、前期は1980年ごろまでと書いているものもあります、と言う人もいた(こういうことを自分で調べているのはすばらしい)。言う通り、諸説あるかもしれない。何年から何年までというのはあくまで目安だ。第1次産業が牽引するのが前期近代、第3次産業が主になり高度消費社会が実現して以降が後期近代で、前期と後期とで産業構造や社会のモードが変わったのだ、というのが私の説明のもっともコアな部分だから、これを受け取ってほしい。

工業化によって牽引された前期近代の大量生産体制は、社会全体の編成に影響を及ぼした。米国の自動車メーカーの確立した生産体制をもとにグラムシ(Antonio Gramsci)はこれをフォーディズムと呼んだ。しかし、高度消費社会に入って消費者の選好・嗜好の多様化と、それを煽る諸商品の差別化・ブランド化は相互作用で進んでいく。これがポスト・フォーディズムと呼ばれる生産体制だ。旧来の生産体制では実現できない、多種少量生産という新たな体制が求められたわけだ。

以上は、生産体制や消費についてフォーカスした整理だ。別の要点を重く見た整理もある。たとえばギデンズ(Anthony Giddens)が言うには、後期近代は近代の特性である再帰性がさらに徹底された。またベック(Ulrich Beck)は、後期近代に入るとそれまでの産業社会・科学技術と自然との関係が根本的に変化し、不可避で制御不能なのリスクが発生すること、そして基本的に手に負えないにも関わらずリスクの配分に政治が関わることになるリスク社会が到来する、と述べた。このふたりは、後期近代を論ずる代表的な現代の社会学者だ。

2017年4月19日水曜日

インタビューの教訓、いくつか

昨日の3年ゼミでは、インタビュー練習も兼ねて、卒論でなにをするかについて3人1組(聞き手2人、語り手1人)でインタビューしました。あくまで、現時点での卒論テーマを探すインタビュー、そのための課題発見のためのインタビューです。ゼミの場では時間のために言い切れなかったのですが、昨日みなさん自身が言っていたことも含めていくつか教訓があると思い、以下に記しておきます。来週以降に活かしてください。

A.インタビュアー(聞き手)

  • 上からいかない。
  • とにかくまずは「現時点で」思っていることを正直に話せばいいんだな、という気にさせる。インタビュアーが自分のことをいろいろ話すというのもひとつの有効法。
  • ゴールまで直線を狙いすぎた質問を連続させない。卒論の調査テーマについてのインタビューだ、ということはお互い分かっている。スタートは「調査テーマを教えてください」でもいい。しかしそこから先、「なにを調べようとしていますか?」「具体的には何を?」といった詰問調になるのは上手じゃない(上から気味)。もともと現時点では答えるのが難しい質問なのだから。「例えば〜」みたいにインタビュアーのほうから例を出してみるのも有効。
  • [参考]インタビューは、相手によってやり方も変わる。たとえば、聞き手と語り手のあいだの知識・経験に明らかな差がある場合と、ほぼ互角である場合。いまやっているのは後者。
  • 通常のインタビューでは相手の経験や考えを聞くのが目的なので「議論」のようなことはしないが、今回の場合は多少の議論になってもいい。例えば、答えのなかでわからない点があったら尋ねる、相手の話してくれたことにあえて「こういう場合はどう調査するんですか?」などの反問を返す、など。
  • 一方で、ほとんどの場合はまだ卒論についてあまり具体的には考えられていない。迷っていたり困っていたりする場合もあるので、なにが難しい点だと思っているかを聞くのも、課題発見になるのでいいやり方だ。
  • 質問とやりとりを重ねていくことによって、語り手の論点が絞り込まれていく、調査の具体的なポイントが分かっていく、あるいは調査上で無理っぽい点がわかっていく、など最初は語り手のなかではっきりしていなかったものごとが、掘り下げられたり具体化していったりすることが、望ましいインタビューのイメージ。
  • あるていどやりとりがすすんだ時点で、まとめを入れてあげるとお互いに整理される。インタビュアーは、ときどき司会の役目もつとめることになる。

B.インタビュイー(語り手)

  • 上からいかない。基本的にこのセッティングは聞き手のほうが大変。やりとりに貢献しようという姿勢を忘れずに。
  • 難しいコトバを使わない。平易なコトバでかざりのない説明をする。
  • 誰かに言われていること(通説など)と自分の視点や見解とを区別して、どちらも説明する。
  • それらしい答えをなんとなく答えるのではなく、自分が考えたいことを伝わるように説明するようにがんばる。どう答えていいか分からない場合は質問者に、なにについて・どのていど具体的に答えるべきなのか、などその先の展開に貢献する方向の逆質問なら可。
  • 答えに困るのは、勉強していないからというだけではなく、卒論にとりくむ当事者にまだなりきれていないから。当事者スイッチを入れよう。スイッチを強制的に入れるために、どんどん宿題を出してもいいんですが…いまはやめときます(笑)。
  • 分かってるフリ、知ってるフリのような体裁を整えるのはまったくムダ。むしろ分かっていない点をはっきりさせる、無理な点をはっきりさせる、どこに絞ればいいかをはっきりさせることだけが重要。

2017年3月9日木曜日

外部との関係で考える小社会の近代化

2017年度前期の農村社会史は、半分は日本の東北地方の、もう半分はどこか外国の農村のおはなしを題材に勉強していきます。参考図書は以下の2点です。ほかのものはその都度、紹介あるいは配布します。


農村は、ひとつのちいさな社会です。〈社会〉を考えるには、とてもよい題材です。まず、農村社会のなかでは、どのような社会関係が成り立っているのか。また、農村のなかではどのような農業が営まれているのか。農業と人づきあい(社会関係)にはどのような関連があるのか。そこを考えていくことで〈社会〉を理解していくことができます。

また、どんな社会もその〈外部〉との影響関係のもとに成り立っています。つまり、農村社会もそこに生きる人びとも、経済や政治、政策の影響のもとにあります。一般的に、前近代---近代化の始まる前までは、こうした外部との関係がきわめて少なく、近代化の過程で影響関係が大きくなっていく。ここで重要になってくるのがmobility、つまり移動性です。移動性が高まると、人・モノ・情報の移動が起こりますが、農村-都市間の関係で言えば、前期近代では、一般的には人は農村部から都市部に(向都離村)、モノと情報は都市部から農村部に移動します。

このように、小さな社会とその近代化について考えていくことが、農村社会史のベースにある大テーマなのです。詳細は、第2回以降の講義で明らかになるでしょう。

実際の講義内容はシラバスからかなり変更するところがあると思いますが、進行はシラバスのとおり、1回文献講読をしてその次の1回は議論、この2回1セットの繰り返しです。

2017年3月1日水曜日

文献の勉強のしかた

これは論文を書くときの難関のひとつですが、基本的に以下の3つだけです。

① 文献をみつける
② 内容を読解する
③ 自分の関心との関係をはっきりさせる

①は、以前に紹介したように、webサイトを使っていくらでも探すことができます(例1例2例3)。でも、安易にやっていてもみつかりません。まず、検索語は? 

検索語の見当をつけるには、自分の関心につながるものごとをkey wordにして把握しておけばやりやすくなります。最初は、みんな調査対象(見たいモノ、取り上げたいトピック。例:「ゲーム」「ファッション」)で検索しがちです。本来は「テーマ」(そのモノやトピックを通して考えたいこと)で検索すべきなのですが、はじめからテーマを把握している人はほとんどいないからです。

ここには、卒論ゼミで最初に挙げられた関心ある対象と、主題的関心、それに合った調査法との関係を記しています。最初に浮かんだ対象やトピックをみることを通して、考えたいことはなにか、難しく考えないで、言葉にしてみてください。

たとえば、農産物直売所への出荷は、出荷者さんにとって農協への決まった品目の大量出荷と違って、自分の目の届くコントロール範囲内で回っている小さな商いです。何を出すか、いくらの値段で出すかも出荷者さんが決めます。こうした小さな商売の面白さとはなんだろうか?

ということに、漠然と興味があったとします。もちろんこれも最初は「直売所ってスーパーと比べてなんか独特、でもなにが独特なんだろう」というようなもっと漠然とした直感かも知れません。さて、検索語はなんにしますか?たいていの人は「直売所」(=対象)でサーチします。最初はそれでいい。しかし、かりにそこで、全国の直売所の売り上げや店舗経営についての論文が続々とヒットしたとしましょう。

ここで注意。ヒットした論文を片っ端から読んでいくほど時間は無限ではありません。論文のタイトル、key words、アブストラクト(要約、摘要)があり、それらだけをチェックして自分の関心とマッチするかどうかを点検していきます。このとき、なにかある(気になる!)と思った内容やkey wordsは手もとのメモに残しておきます

さて、しかし直売所の「経営」には関心のポイントはありません。そこで、例えば出荷者さんの目線での直売所の商いが「対面性」や「記名性」に基づくものだと気づくかもしれません。農協に出荷して終わりではなく、自分の商品を買う人と対面したり、商品には自分の名のラベルが貼られていたりします。ヒットした論文のなかから、そうした関心にかするものがあれば、そこから話はすすみます。少ししか見つからないとしても、それは他人の見つけていない鉱脈をみつけたということかもしれません。

まったくみつからない場合、2つの対策が考えられます。その第1。「対面性」や「記名性」にもとづいた小さな商売という同等の要素をもった、直売所とはちがう対象(社会現象)をさがしてみましょう。たとえば、フリーマーケット(蚤の市)はどうでしょうか。フリーマーケットを検索語にして、論文を検索してみます。そして上のことを繰り返します。良さそうだと思った論文をみつけたら、同じ著者によって書かれた別の論文もチェックしましょう。

その第2。論文検索からいったん離れて、おなじ検索語で(論文に限らない)web全体の検索をしてみる。もちろん全体はおそるべき玉石混淆なので、そのさいは大学(ac.jp)や行政(go.jp)のページにとくに注意しましょう。そうすれば、世の中で、自分のみようとしている対象がどうみられているかを掴むことができますので、ここでもkey wordsをメモっていきます。

こうした作業を繰り返せば、だんだん自分が直売所という「対象」を通して考えたい「テーマ」へのヒントが集まってきます。そうするとしめたものです。

②の論文の読みかたについては、別のところで書きましたので、ここでは省略。ここで言いたいことはひとつ。論文は1本だけではなく、最低3本は用意して読みましょう。

③の自分の関心との関係について。じつはここがいちばん重要なのですが、お分かりのように、この作業はすでに①の段階から手をつけています。みなさんには②の作業量を減らすために①と③をしっかり意識してもらいたい。

自分の関心と、まったくおなじ論文はないと思ってください。みつけた論文のなかでも、どこか自分の追求・深堀りしたいところとは少しずれていたりする場合がほとんどです。まず、どこがちがうかを、メモ・ノートしながら読んで、コトバで掴むようにしてください(ここも参考)。

自分の関心に忠実に、独自のデータをもとにして人を説得していくのが論文です。すでにある論文が似たようなものごと(対象)や関心(テーマ)を扱っているものだとしても、自分が追求したいこととはちがう。とすると、残りは「では、自分独自の関心や目のつけどころ、調査方法などが、なぜ重要なのか」を説明することです。これはやがて「研究の目的」につながっていきますが、ここから先は、ゼミで議論しないと難しいところでしょう。

2017年2月14日火曜日

もし、大学院入学希望(かもしれない)なら

大学卒業後に、就職ではなく大学院に進学するということも、選択肢のひとつです。一般に、人文社会系の大学院は進んでも就職はよくならない、と言われます。目的意識がなければ、そのとおりです。が、ちゃんと自分なりにねらいや戦略があれば、その限りではありません。まず、早めに相談を。4年生の秋以降では、遅いです。

大学院の勉強は特別難しいか。かなり頭がよくなければ大学院はやめたほうがいいのか?そんなことはありません。これは過去に私が学生に言ったことがあるのですが、もっとも必要なのは、社会にまつわるなにかを分かりたいという関心と、それを形(原稿)にしたいという欲と、長期的に取り組む根気ないし根性です。頭の良さなどよりこれらのほうが確実に重要。

大学院(修士課程)の2年間は、案外あっという間です。文献を読んだり、調査をしたり、論文を書いたりということは、どれも時間のかかることです。みなさん卒論に取り組むにも、本気モードになってから最低でも半年はかかったはずです。修論は、その倍以上かかると思ってください。だから、時間やお金・労力のやりくりができることも大事かもしれません。