2014年11月1日土曜日

論点ディスカッション(その2)

論点ディスカッションで、これまでみなさんが出してきたレジュメは、「論点の提示」と「議論のための資料の提示」のふたつの要素からなっています。ずっと「論点の提示」の部分が弱いために(絞り込めていない、論点でか過ぎ or ばくぜん)、「議論のための資料の提示」の部分がメンバーに丸投げとなり「さあ議論しましょう」と言っても、なんのためにこの資料が選ばれたのか、どういう方向で議論すればいいのかわからない、ということが続いてきました。このあいだからダメ出ししている「どうあるべきか」という論点設定は、専門家を集めたパネルディスカッションなら成り立ちますが、ゼミはそうではない。「どうあるべきか」では、これまで議論が盛り上がらなかったし、その問題設定のなにが失敗しているのかも分かりにくい。

そこで提案ですが、レジュメの「論点の提示」の部分でかならず、みなさんがすでに読んでいるテキスト『社会学』のなかで関連する具体的な部分を指示し、そこでどのようなことが論じられているかを確認することにしたらどうかと思います。テキストや概説書は、社会学がテーマにしていることを網羅的に扱おうとしているので、論点でとりあげるようなひとつひとつの小テーマについてはていねいに扱えていないのですから、それをさらにていねいに議論していく(「詳しく調べる」だけではなく)ことができます。そして、テキストはみなさんが読んでいるのですから、議論の前提を共有できています。

これまでは、テキストのなかにあるキー・トピックをトピックだけ拾ってきて、それをキーワードにした検索で資料を拾って、たまたま出会った数少ない資料をもとに「〜べきかどうか」という丸投げにもちこむ形になっています。そうなるとテキストを読んでいるかどうかより、トピックについてなにか知っているか、意見を持っているかどうかというだけの話になる。社会学に関係ない。

これまで少しいいかなと思ったものは、テキストとは少し別角度からトピックに接近していて、比較的面白い資料を調べてもってきているという点があったからですが、でも、どこまでテキストの内容と関連づけられているのかが不明だという点で、やはり勿体ないものでした。資料をいろいろ持ってくる前に、論点設定の方に時間をかけたほうがいい、と私が言うのはそういうわけだからです。論点設定がしっかりしていれば資料がぜんぶ集められていなくても(そもそも資料なんてぜんぶ集められるわけがない)、この論点を明らかにしていくにはこういう資料とか調査が必要だ、という議論ができます。資料はいろいろもってくることよりも、どのような観点から選ばれているかが明確であることの方が重要です

そこで、さきほどの提案に戻りますが、レジュメの「論点の提示」の部分でかならず、テキストの具体的な関連部分を指示し、あるトピック(社会現象)や分析・解釈の枠組みを論点に取り上げる場合に、まずテキストの原文でそれがどのように説明されているかをいったん共有しそのどこに切り込んでいく論点かを明確にしてからすすめればいいのです。

その箇所(何ページ)で、こういう文脈で(その章全体の流れのなかで)こういう意味で取り上げられているこのトピックについて、もっと限定した議論をするためにこの資料を用意しました、とか、ここでこういう現象やトピックを分析・解釈する枠組み(モデル)として出てきているこれこれ(これはたとえば「多重化するシティスンシップ」のように図示されているものでも、「中流階層化と文化資本の普及」についての本文中にある説明でもいい)について、具体的な事例から検証するために、という形にすればいいと思います。そうすれば、どのような観点から参考資料が提示されているのか(そしてそれが妥当な資料選択なのかどうか)もわかります。

もちろん「もっと限定した議論」「具体的な事例から検証」というところについては、そのままでは漠然としています。方向としては、いくつか考えられます。テキストに書かれてある主旨の延長線上にある議論。これはたとえば、テキストの説明は説明としては分かるのだけど、じっさいの社会現象がそれで説明しきれるかどうかは分からないので、その点を確かめることのできるデータを用意した。あるいはテキストの説明は説得的なので、テキストで事例として取り上げられている現象とは別の現象でもその説明枠組みが使えるかどうか、試してみた。というようなもの。また、テキストに書かれてある説明主旨に対抗する方向の議論もありえます。たとえば、テキストで取り上げられているトピックは、別の角度から説明もできるし、そちらのほうがその現象にとっては重要な説明だ。というようなものです。

テキストで述べられていることとレジュメで提示された論点とが関連づけられていて、担当者が、自分たちの出す論点について考えてきているのなら、なんでもいいんです。そして、論点を設定してじゅうぶんに議論を盛り上げることは簡単なことではありませんから、失敗しても誰も不思議には思いません。失敗はどこにあるのか、という議論ができる材料があれば大丈夫なんです。まあがんばってみてください。

【文献】
長谷川公一、浜日出夫、藤村正之、町村敬志著『社会学』、有斐閣、2007年