2014年11月16日日曜日

機能分析(順/逆、顕在的/潜在的)

社会学Aではこの2週、ふたりのアメリカの社会学者、タルコット・パーソンズ(Talcott Parsons; 1902-1979)とロバート・K.・マートン(Robert King Merton; 1910-2003)による理論の勉強でした。

マートンは、ある社会現象が全体社会に与える効果という因果関係を、順機能/逆機能、顕在的機能/潜在的機能のように分けて考えています。そうすることによってなにがみえてくるのかということをおさらいしましょう。

機能」は生物学用語から。有機体全体(社会システム)の存続・維持に(正・負に)貢献する、という観点からみた合目的的(因果的な)作用のこと。

  • 順機能;「社会システム全体に適応や調整を促す機能」。あるいは社会事象Aが社会事象Bに果たしている機能のうち、Bに正の方向で貢献するもの。
  • 逆機能;「社会システム全体に適応や調整を減じる機能」。あるいは社会事象Aが社会事象Bに果たしている機能のうち、Bに不利な方向にはたらくもの。

どんな社会的事象でも、おそらく順/逆双方の機能をあわせ持っています。たとえば官僚制(ビューロクラシー;bureaucracy)は、文書による情報・意思伝達とピラミッド型の位階序列によって効率的運営を達成する、近代的な組織の代表格です。どんな企業組織も官僚制組織をお手本にしていないものはありません。一定以上の規模の組織が資源を得てその配分をおこなったり、さらなる資源獲得のためのプロジェクトに従事したりするさいに、官僚制組織は合理的なのです。ところが、「官僚主義」「お役所仕事」としてよく知られている通り、官僚制による組織運営には杓子定規的な規則適用、前例主義(保守的)、事なかれ主義(責任回避)、縦割り政治(セクショナリズム)などがその「逆機能」として挙げられます。

なぜこうしたことが起きるのか。官僚制の逆機能の場合についてマートンは、官僚組織内部に手段の目的化という転倒が起きていることを指摘します。 [マートン 1961; pp.181-189]

役所の役人がわれわれにつっけんどんにみえる対応、機械的な対応をするのには正当な理由があります。かれらはその役職についた人員なら誰でもその仕事を規則に従ってこなす、という点で責任を負わされた存在です。ですからかれらのふるまいは、ほかの人員でも代替可能であるように標準化されていますし、規則に従い、かつ分担された責任の範囲内で対応します。変な言い方ですが、まさにかれらが機械的にふるまうことによって、われわれの「役所のその窓口にこの書類を持って行けば、納税者としてこういう行政サービスを受けることができる」という期待が保証されているのです。チェーンのファストフード店員の対応も基本的に同じこと。

つまり役人にとって、機械的な態度は利用者からの信頼を得るための外装、手段なのです。しかし、そうした態度が重要であるという規範だけが先行し、役人がそうふるまうこと自体を目的化してしまうと、転倒が起こります。役人は上役からつねに「規則に服せ、慎重にふるまえ」と言われる。利用者からすれば「融通が利かない」「(職務と責任の分担の原則ゆえ)ある窓口から別の窓口にたらい回しにされる」…etc. といったこと(本末転倒)が起こるわけです。

機能分析の話に戻りましょう。これらの機能は順/逆のほか、社会の中の人(成員=メンバー)にとって明らかかどうかによって以下のふたつに分けて考えます。

  • 顕在的機能; 一定の社会システムに適応的ないし調整に貢献し、システム内の参与者に意図され、認知されている機能。ある社会事象が果たしている機能で、成員がそれを分かっており、かつ公にも認められている機能。
  • 潜在的機能; 参与者に意図されず、認知されていないもの。ある社会事象が果たしている機能だが、成員は分かっていないか、公に認められていない機能。

この2 つを区別する意図は、行為の意識的動機とその客観的結果との混同を防ぐことにある、とマートンは言います。つまり、 Weber『プロ倫』が、新教徒の内面化した生活・職業態度が資本主義的な企業家・労働者の心性と親和性が高く、専門教育によってトレーニングされた高度な労働者や企業家を生んだという意外な(当時は誰にもはっきりと知られてはいなかった)効果を発見したように、ある社会事象の意図せざる社会的帰結をも見いだすことにあるのです。これらの順/逆と顕在/潜在との組み合わせで4通りの機能を想定できます。たとえば上記の官僚制の逆機能については、世間一般が百も承知であるとマートンは言っていますので、官僚主義は官僚制によって回っている社会にとっての「顕在的逆機能」ということになる。

マートンの出しているもうひとつの有名な例に、「地域社会での政治ボス組織の機能の例があります[マートン 1961; pp.65-71]。地方都市社会の政治ボス組織は、地域住民が困っているとき、インフォーマルに「職探しの際の口利き」「賄賂まがいの支援」「いざこざの解決」「奨学金の世話」などの支援の手を差し伸べ、人気とりをおこなって選挙の票を得る。一方で、行政や慈善団体は同じ人びとにフォーマルで「正しい」理念にもとづいた支援をおこなう。人びとにとっては、どのみち自分たちにアクセス困難な資源や機会を得ることができる。だから地域社会の貧しい人びとや困っている人びとにとって、政治ボス組織も行政あるいは慈善団体も、いっけん機能的に等価な、選択的構造のもとにあるようにみえる。

どうせ同じなら、政治的利害関係の絡む政治ボス組織とギブ&テイクの関係を結ぶ(これが支配-被支配関係に発展するかもしれない)より、行政や慈善団体から正しいサーヴィスを受ける方がいいのでしょうか? そうとは限らない。「援助を受けること」はそれがいかに憲法で保証された正当な権利でも、上から目線の施しを受けることは人びとの自尊心をいくらか損ねるということがある。おまけに行政やある種の慈善団体は、その人が援助を受ける資格があるかどうか、いろいろの書類に記入させることを通して個人的な事情を調べ上げ、詮索する。法定の援助を受けるまでのこうした手続きは当然、本人らの自尊心を傷つける。煩わしい手続きを求めてくる恩着せがましいフォーマルな援助よりも、インフォーマルだが物わかりのよい政治ボス組織が「仲間」として差し伸べる手っ取り早い援助の手のほうがずっとましということもあるのです

ためしにこの例に出てくるインフォーマル機関、フォーマル機関の援助・支援プロセスを、機能分析を使って説明してみてください(社会は一枚岩ではない、誰にとって顕在的/潜在的か、誰にとって順/逆機能かも問題にせよ)。

社会学者は昔から社会問題についての専門家とされていますが、マートンは、社会問題についても「顕在的/潜在的」社会問題の四象限マトリクス表を使って、社会の中の人には見えない問題を、社会の外から発見することに、専門家である社会学者の役割を見いだした【図1】。つまり、潜在的社会問題の発見、「偽の社会問題」の見いだし、あるいは顕在的社会問題のなかの順機能/逆機能の見いだしこそが重要であり、それは中にいたままでは見えにくいものなのだ(ジンメルの「よそ者」の話、アフリカ農村で調査する人類学者の話を思い出しましょう)。

【図1】


【文献】
RK・マートン(森東吾、森好夫、金沢実、中島竜太郎編訳)『社会理論と社会構造』みすず書房、1961年(原著は1949年に発表)