実習の報告書(年末から年度末にかけて)、そして卒論(うちのゼミでは3年の後期から)と、大学でみなさんが課される「調査をもとにした作文」である論文を書くとき、かならず関連研究(先行研究)をレビューしなさい、という指導を受けます。論文を読むことは卒業までに避けて通ることのできないポイントです。ここでは、「ふつうの読書」とちがう「レビューのために論文を読む」ことについて説明してみます。
ふつうの読書の目的はみなさんがめいめいに決めればよろしい。レビューのために論文を読む目的はただひとつ。自分の研究の意味を、まず自分で確認し理解すること、これです。同じテーマについてほかの人が過去にやった研究内容をみて、自分のやることの意味を発見し、目的を絞りましょう。論文はあたらしい議論をつくるために書くんです。
しかし、人の書いた論文を読むのは慣れないと面倒なことです。小難しい論文が多い。理由のひとつは、人文社会科学系の論文の議論は必然的に抽象的な概念を使ったものになってしまうこと。もうひとつは、著者のなんとなくの癖や背伸びで小難しい表現を選んで書いてしまっていること。私は後者には陥らないようにしたいと思っています。皆さんもいま人のものを読むときはイラついていても、卒論を書くときは必要以上に小難しく表現することがよくあって、本人説明できるのかよ、と読んだ私が思ってしまうパターン、あるので気をつけて。
さて、前置きが長かったですが、論文を読むときに念頭に置かねばならないのは、
これらふたつで、どちらともしなければ絶っ対にダメです。
自分と同じテーマの先行研究の論文を読もうとしている、という想定です。論文の著者と自分とが、テーマにたいするアプローチ、視点(目の付け所)、研究目的(明らかにしたい内容)などについてまったく同じということはまずありません。論文タイトルを見たら一見同じようにみえた論文も、読んでいくとちがいがみえてくることがほとんどです。かんたんに自分と「同じ」や「ちがう」を決めず「どの点が同じ」「どの点でちがう」という整理をすることが重要かと。
著者に寄り添って読むこと(内在的読み)。テーマに対する著者の視点や著者の設定した研究目的を前提にして、著者の意図にしたがってまずは内容を読解します。著者は自分の着目点、研究目的についてどのように意味があると考えているのか。なぜその調査方法、調査対象を選んだのか。歴史的時間軸が入った研究なら、なぜその時期を選んだのか。なぜそのデータあるいは事例を論文でとりあげているのか。データや事例の解釈はどうなっていて、それが議論や考察とどう関連づけられているか。
著者を突き放して読むこと(外在的読み)。テーマに対する著者の視点や著者の設定した研究目的を前提にして、自分の考えているテーマへのアプローチ、視点・視座、そのテーマについてわかりたいこと(研究目的の原型)などなど、自分の立ち位置との差異を意識しながら検討していく。著者の目的の設定には無理がないか。その目的がどこまで達成されているか(議論できているのか)。じゅうぶんな議論の根拠(データ)が示されているか。そもそも調査はじゅうぶんか、などに注意して読みます。じつはこうした、同じテーマの他人の論文の検討作業を通して、テーマに対する自分の視点・視座や研究目的が意識化され、絞られていくものなのです。
この数回分の実習でやろうとしていることは、著者に寄り添って読むこと(内在的読み)。前回、ちょっと混乱があったのだとすると、みなさんがすすめようとしている「内在的読み」に、われわれ教員の側が「外在的読み」を被せてコメントしていった(要するに、著者の叙述について批判していった)ためだと思います(反省)。教員はプロの研究者でたくさん論文を読んできましたから、内在的読み・外在的読みを同時並行してすすめていても、頭のどこかで整理できています。が、慣れていないみなさんは混乱するでしょう。しかし、これ以降は内在的読み・外在的読みということを踏まえて、どちらの眼もしっかりもって読んでいきましょう。
いまの時点でみなさんは、論文内容の難しさにひっかかっているのだと思います。だから、最初は同時並行ではなくまず内在的読みをして、それから外在的、という手順で考えましょう。いま読もうとしている論文[有薗 2008]を例にとってみます。レジュメにも記した通り、慣れないうちは以下の確認をしていくことから始めましょう。
2)の「個々のデータ・事例」を除き、1)2)のすべては、論文のタイトルと要旨、そして論文の目的や方法が書かれたパート(第1-2章)について重点的に作業をすすめればいいでしょう。「個々の事例」については、いわゆる調査データを使った本論(第3-4章とか)です。さいごの章(5章)は、議論と考察なのできっと抽象的な難易度の高い文章が出てきますが、目的や方法のパートをクリアしていれば対応できるでしょう。
論文は、構成を押さえ、意味のある議論を作れているかどうかという全体をみます。これがいちばん大事。これの決め手は、目的の設定、その目的を、どのようなデータ(量的・質的;事例含む)を使って議論・考察し達成しようとしているかを読むことです。それをまず1)をすることによっておさえます。ところが1)の時点ですでにわからない語や文が出てくるでしょう。そこで2)です。
2)は、自分が知らないだけで辞書を調べれば5秒でわかるような言葉は、調べてください。ただし、初見だが字義と前後の文脈から意味が推量できるものはいちいち調べる必要はありません。そうすると、わからない語は減っていきます。問題は、辞書にない語やわからない文・フレーズが残ることです。これについては、マークを入れ、だいたいの意味を考えておきましょう。イザとなれば教員に聞けばよろしい。教員に聞いても、前回のように、辞書を引いたような答えを得ることができない場合がけっこうありますが、そのことを確認するのも意味のあることです。その場合には、それを疑問として持っておいて、論文を読み進めながら著者の用語法を解釈してゆくしかありません。
扱った論文[有薗 2008]での具体例で言います。要旨をチェックした時点で、「入所者が営んできた諸実践の生成と展開」「構造的制約の多い状況のなかで生を豊穣化しようとする」という2つのフレーズが「よくわからないもの」として残りました。わからないものは、なんとなく・とにかくわからないものとして置いておくよりも、どこが・なぜわからないのかを、できればつきとめておきましょう。前回、だれかが指摘してくれたように、前者の場合は「実践」という語の意味がわからないことが、このフレーズがわからない原因なのです。後者なら「構造的制約」でしょう。言葉そのものとしては、高校生までで「実践」も「構造」も、もしかしたら「構造的制約」も、どこかでみたことがあるかもしれません。しかし、各フレーズの意味は論文を読むまでよくわかりません。
要旨に書かれてあるということは、これら「実践の生成と展開」も「構造的制約」も、この論文にとって重要なことのはずです。なので「いったい、著者がこの言葉で意味しようとしていたことはなんなのか」という疑問をもちながら読み進める。じつは、疑問や予測をもちながら読むことは、論文を「内在的に」読むときにも必須の態度なのです。疑問や予測をもちながら読むためには、重要な疑問や予測を絞っていかねばなりません。上記の1)2)はそのための作業だとも言えます。また、疑問や予測をもちながら読み進めるということは「著者に寄り添って」内在的読みをすすめるために必要であると同時に、テーマに対する自分の視点や考え方への気づき(自覚化)を促します。これが自覚できて初めて外在的な読みが可能になることは言うまでもありません。
私がこの記事の冒頭で書いたレビューのために論文を読む目的「自分の研究の意味を、まず自分で確認し理解すること」とは、このことでした。
文献
有薗真代[2008]「国立ハンセン病療養所における仲間集団の諸実践」、『社会学評論』59巻2号、pp.331-348.
ふつうの読書の目的はみなさんがめいめいに決めればよろしい。レビューのために論文を読む目的はただひとつ。自分の研究の意味を、まず自分で確認し理解すること、これです。同じテーマについてほかの人が過去にやった研究内容をみて、自分のやることの意味を発見し、目的を絞りましょう。論文はあたらしい議論をつくるために書くんです。
しかし、人の書いた論文を読むのは慣れないと面倒なことです。小難しい論文が多い。理由のひとつは、人文社会科学系の論文の議論は必然的に抽象的な概念を使ったものになってしまうこと。もうひとつは、著者のなんとなくの癖や背伸びで小難しい表現を選んで書いてしまっていること。私は後者には陥らないようにしたいと思っています。皆さんもいま人のものを読むときはイラついていても、卒論を書くときは必要以上に小難しく表現することがよくあって、本人説明できるのかよ、と読んだ私が思ってしまうパターン、あるので気をつけて。
さて、前置きが長かったですが、論文を読むときに念頭に置かねばならないのは、
- 著者に寄り添って読むこと(内在的読み)
- 著者を突き放して読むこと(外在的読み)
これらふたつで、どちらともしなければ絶っ対にダメです。
自分と同じテーマの先行研究の論文を読もうとしている、という想定です。論文の著者と自分とが、テーマにたいするアプローチ、視点(目の付け所)、研究目的(明らかにしたい内容)などについてまったく同じということはまずありません。論文タイトルを見たら一見同じようにみえた論文も、読んでいくとちがいがみえてくることがほとんどです。かんたんに自分と「同じ」や「ちがう」を決めず「どの点が同じ」「どの点でちがう」という整理をすることが重要かと。
著者に寄り添って読むこと(内在的読み)。テーマに対する著者の視点や著者の設定した研究目的を前提にして、著者の意図にしたがってまずは内容を読解します。著者は自分の着目点、研究目的についてどのように意味があると考えているのか。なぜその調査方法、調査対象を選んだのか。歴史的時間軸が入った研究なら、なぜその時期を選んだのか。なぜそのデータあるいは事例を論文でとりあげているのか。データや事例の解釈はどうなっていて、それが議論や考察とどう関連づけられているか。
著者を突き放して読むこと(外在的読み)。テーマに対する著者の視点や著者の設定した研究目的を前提にして、自分の考えているテーマへのアプローチ、視点・視座、そのテーマについてわかりたいこと(研究目的の原型)などなど、自分の立ち位置との差異を意識しながら検討していく。著者の目的の設定には無理がないか。その目的がどこまで達成されているか(議論できているのか)。じゅうぶんな議論の根拠(データ)が示されているか。そもそも調査はじゅうぶんか、などに注意して読みます。じつはこうした、同じテーマの他人の論文の検討作業を通して、テーマに対する自分の視点・視座や研究目的が意識化され、絞られていくものなのです。
この数回分の実習でやろうとしていることは、著者に寄り添って読むこと(内在的読み)。前回、ちょっと混乱があったのだとすると、みなさんがすすめようとしている「内在的読み」に、われわれ教員の側が「外在的読み」を被せてコメントしていった(要するに、著者の叙述について批判していった)ためだと思います(反省)。教員はプロの研究者でたくさん論文を読んできましたから、内在的読み・外在的読みを同時並行してすすめていても、頭のどこかで整理できています。が、慣れていないみなさんは混乱するでしょう。しかし、これ以降は内在的読み・外在的読みということを踏まえて、どちらの眼もしっかりもって読んでいきましょう。
いまの時点でみなさんは、論文内容の難しさにひっかかっているのだと思います。だから、最初は同時並行ではなくまず内在的読みをして、それから外在的、という手順で考えましょう。いま読もうとしている論文[有薗 2008]を例にとってみます。レジュメにも記した通り、慣れないうちは以下の確認をしていくことから始めましょう。
☝「内在的読み」のための2段階
1)全体について
テーマの意味、視点と目的の設定の確認、要旨とkey wordsから全体の流れを想定
2)部分についてこれらはノートにメモをとりながら、あるいは印刷した論文に書き込みをしながら、という具体的な手作業にしたほうが頭に入ります。
・不明な用語 … ①マークを入れて、②意味を考えてみる、調べてみる
・わかりにくい箇所 … ①マークを入れる、②意味を考えてみる
・個々の事例 … ①扱われている出来事のなりゆきをつかむ、②それを著者がどのように解釈しているかをつかむ
2)の「個々のデータ・事例」を除き、1)2)のすべては、論文のタイトルと要旨、そして論文の目的や方法が書かれたパート(第1-2章)について重点的に作業をすすめればいいでしょう。「個々の事例」については、いわゆる調査データを使った本論(第3-4章とか)です。さいごの章(5章)は、議論と考察なのできっと抽象的な難易度の高い文章が出てきますが、目的や方法のパートをクリアしていれば対応できるでしょう。
論文は、構成を押さえ、意味のある議論を作れているかどうかという全体をみます。これがいちばん大事。これの決め手は、目的の設定、その目的を、どのようなデータ(量的・質的;事例含む)を使って議論・考察し達成しようとしているかを読むことです。それをまず1)をすることによっておさえます。ところが1)の時点ですでにわからない語や文が出てくるでしょう。そこで2)です。
2)は、自分が知らないだけで辞書を調べれば5秒でわかるような言葉は、調べてください。ただし、初見だが字義と前後の文脈から意味が推量できるものはいちいち調べる必要はありません。そうすると、わからない語は減っていきます。問題は、辞書にない語やわからない文・フレーズが残ることです。これについては、マークを入れ、だいたいの意味を考えておきましょう。イザとなれば教員に聞けばよろしい。教員に聞いても、前回のように、辞書を引いたような答えを得ることができない場合がけっこうありますが、そのことを確認するのも意味のあることです。その場合には、それを疑問として持っておいて、論文を読み進めながら著者の用語法を解釈してゆくしかありません。
扱った論文[有薗 2008]での具体例で言います。要旨をチェックした時点で、「入所者が営んできた諸実践の生成と展開」「構造的制約の多い状況のなかで生を豊穣化しようとする」という2つのフレーズが「よくわからないもの」として残りました。わからないものは、なんとなく・とにかくわからないものとして置いておくよりも、どこが・なぜわからないのかを、できればつきとめておきましょう。前回、だれかが指摘してくれたように、前者の場合は「実践」という語の意味がわからないことが、このフレーズがわからない原因なのです。後者なら「構造的制約」でしょう。言葉そのものとしては、高校生までで「実践」も「構造」も、もしかしたら「構造的制約」も、どこかでみたことがあるかもしれません。しかし、各フレーズの意味は論文を読むまでよくわかりません。
要旨に書かれてあるということは、これら「実践の生成と展開」も「構造的制約」も、この論文にとって重要なことのはずです。なので「いったい、著者がこの言葉で意味しようとしていたことはなんなのか」という疑問をもちながら読み進める。じつは、疑問や予測をもちながら読むことは、論文を「内在的に」読むときにも必須の態度なのです。疑問や予測をもちながら読むためには、重要な疑問や予測を絞っていかねばなりません。上記の1)2)はそのための作業だとも言えます。また、疑問や予測をもちながら読み進めるということは「著者に寄り添って」内在的読みをすすめるために必要であると同時に、テーマに対する自分の視点や考え方への気づき(自覚化)を促します。これが自覚できて初めて外在的な読みが可能になることは言うまでもありません。
私がこの記事の冒頭で書いたレビューのために論文を読む目的「自分の研究の意味を、まず自分で確認し理解すること」とは、このことでした。
文献
有薗真代[2008]「国立ハンセン病療養所における仲間集団の諸実践」、『社会学評論』59巻2号、pp.331-348.